『今昔物語集』の狐

 1120年以降に成立した説話集。編者未詳。受験用には「今は昔」から始まる云々といったことも知ってるとよいのだろうか。31巻から成り、舞台により「天竺」「震旦」「本朝」の3部に分かれる。仏教の教訓を説くものが多い。1059話収録。

index
巻 2-31 「微妙比丘尼の語(微妙比丘尼語)
巻 5-13 「三獣菩薩の道を行じ、兎身を焼ける語(三獣行菩薩道、兎焼身語)
巻 5-19 「天竺の亀、人の恩を報ぜる語(天竺亀、報人恩語)
巻 5-20 「天竺の狐、自ら獣の王と称して獅子に乗り死にたる語(天竺狐、自称獣王乗師子死語)
巻 5-21 「天竺の狐、虎の威を借り責められて菩提心をおこせる語(天竺狐、借虎威被責■菩提心語)
巻12-40 「金峰山の薊の嶽の良算持経者の語(金峰山薊嶽良算持経者語)
巻14- 5 「子狐の死にたるを救はむがために法花を写せる人の語(為救野干死写法花人語)」
巻14-22 「比睿山の西塔の僧春命、法花を読誦して前生を知れる語(比睿山西塔僧春命、読誦法花知前生語)
巻16-17 「備中国の賀陽の良藤、狐の夫となりて観音の助けを得たる語(備中國賀陽良藤、為狐夫得観音助語)」
巻17-33 「比叡の山の僧、虚空蔵の助けにより智を得たる語(比叡山僧、依虚空蔵助得智語)
巻20- 7 「染殿の后、天宮のためにニョウ乱せられたること(染殿后、為天宮被■乱語)」
巻20- 9 「天狗を祭りし法師、男にこの術を習しめむとしたること(祭天狗法師、擬男習此術語)」
巻23-17 「尾張国の女、美濃の狐を伏したること(尾張國女、伏美濃狐語)」
巻25- 6 「春宮の大進源頼光朝臣、狐を射たること(春宮大進源頼光朝臣、射狐事)」
巻26-17 「利仁将軍若かりし時、京より敦賀に五位を従いてゆきたること(利仁将軍若時従京敦賀将行五位)」
巻27-28 「京極殿に於いて古歌を詠めし音ありたる語(於京極殿有詠古歌音語)」
巻27-29 「雅通の中将の家に同じ形の乳母(めのと)二人ありたる語(雅通中将家在同形乳母二人語)」
巻27-32 「民部の大夫の頼清の家の女子の語(民部大夫頼清家女子語)」
巻27-33 「西京の人、応天門の上に光る物を見たる語(西京人、見応天門上光物語)
巻27-37 「狐、大きなる椙木に変じて射殺されたること(狐、変大榲木被射敏語)」
巻27-38 「狐、女の形に変じて播磨安高にあいたること(狐、変女形値播磨安高語)」
巻27-39 「狐、人の妻の形と変じて家に来たること(狐、変人妻形来家語)
巻27-40 「狐、人に託きて取られし玉を乞い返して恩を報ぜること(狐、託人被取玉乞返報恩語)」
巻27-41 「高陽川の狐、女に変じて馬の尻に乗れること(高陽川狐、変女乗馬尻語)」
巻27-42 「左京の属の邦の利延、迷し神にあへる語(左京属邦利延、値迷神語)
巻27-43 「頼光の郎等、平ノ季武、産せる女にあへる語(頼光郎等、平季武、値産女語)
巻27-44 「鈴鹿山を通りし三人、知らざる堂に入りて宿りせる語(通鈴鹿山三人、入宿不知堂語)

巻2の31「微妙比丘尼の語(微妙比丘尼語)

 一箇所「狐狼」という語が見えるだけ。省略。

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巻5の13「三獣菩薩の道を行じ、兎身を焼ける語(三獣行菩薩道、兎焼身語)

 有名な「月の兎」のおはなし。「月に兎がいる」というのはこんな悲しい話なのです。
 さて、狐。猿と同列に描写されていますが、三匹それぞれの性質に基づいた振る舞いをします。ここでの狐は「墓場」に出掛けてゆきます。いろいろ当たりましたが、どうにも我らが狐たちは「墓場」が好きなようです。また、「火」を持ってくるのも狐の仕事です。

(内容)
 今は昔、天竺(てんじく)に兎とと猿、三匹の獣がいた。共に仏道を志して菩薩の道を行じていた。
 三匹はこう考えていた。
「私たちは前世の罪障の深さから賎しい獣の身に生まれてしまった。前世に、生きとし生けるものを慈しまず、私財を惜しんで人に施すこともなかった。そんな罪深さのために地獄に堕ち、苦しみ苛まれた上で、さらにこのような身に生まれ変わったのだ。ならば今生は身を捨てて生きてゆこう。」
 そのため三匹は年長の者はすべて親と同じように敬い、すこし年長ならば兄のように、若ければ弟のようにあわれんで、自己中心的な考えをせず、周りの者のために考え振舞うようにした。

 あるとき帝釈天がこの三匹にお気づきになった。
「この者どもは獣の身ながら有難い心の持ち主ではないか。人の身に生まれても、あるいは殺人を犯したり盗みをはたらいたり、親を殺し兄弟を仇のように憎しみ、あるいは笑みをたたえながら悪だくみをしたり、恋するように振舞いながら怒りの心を蔵していたりする。いわんや、このような獣においてまことの心が深いとは思い難い。しからば彼らの心を試してみよう」
 帝釈天はよわよわしい老翁の姿に変じて、この三匹のところに姿をあらわされた。
「私は老い、せんかたなく疲れてしまった。どうか私を養ってはくれないだろうか。私には子も居らず、家も貧しくて食べるものも無いのだ。聞くところ、あなたたち三匹は深く憐れみの心を持つというではないか」
 翁になった帝釈天がそうおっしゃると、三匹は応えて言った。
「私たちは本心からそのように振舞っております。あなたを養ってさしあげますよ」
 そう言うと猿は木に登り、栗・柿・梨・棗・柑子・橘の実…たくさんの果実を抱えて戻ってきた。そして今度は里に下りて瓜・茄子・大きな豆や小さな豆などを集めてきて、翁の食べたいものを聞きながら食べさせた。
 狐は墓地にある小屋の方へと出かけていった。そしてお供えの餅やご飯、鮑や鰹などの干魚などを背負って来て、翁に食べさせた。翁はもうお腹いっぱいになった。
 そんなふうに日々が過ぎ、あるとき翁は言いました。
「この二匹の獣は本当に慈悲深い心をもっている。まったく仏道を志す者と変わりない」
 これを聞いた兎は自分も頑張ろうと思った。明かりを持って出かけると、丸い背に長い耳を立てて両の目を見開き、短い両の手で東西南北を駆け回った。しかし兎は何も手に入れられない。翁と猿と狐はあざけり笑いながらも励ましていたが、兎はやはり何も得られずにいた。
 兎は考えた。
「翁を養うために野山に出たけれど、野山は恐くて仕方がない。人に殺されるかもしれないし、獣に食われてしまうかもしれない。そんなことで、いたずらに死んでしまっては元も子もない……」
 兎は翁のところへ戻ると、こう言った。
「いま、とっても美味しい物を取ってくるから、枝をあつめて火をおこして待っていて下さい」
 猿は枝を拾い集め、狐は火を取ってきて火をおこし、兎も今度はひょっとしたら獲物を持ってくるかもしれないと待っていた。
 すると兎が何も持たずに帰って来た。
「君は何を持ってきたというんだい? そんなことじゃないかと思ったよ。嘘をついて火を焚かせておいて、自分が温まろうというんだな。憎たらしい」
 猿と狐が罵ると、兎は言った。
「私は非力なので食べ物を取って来られません。だからこの私を食べて下さい」
 たちまち兎は焚火の中へとおどり込み、そのまま焼けて死んだ。これを見た帝釈天は本来の姿にお戻りになり、火に飛び込んだこの兎を、世の全ての生けるものたちに見せるため、月の中へと映し込まれた。
 こうして月の面には、雲のごとくに見えるものができた。これは焼けた兎の煙である。また、月の中に兎の姿があるというのは、この兎のことである。人々は月を見るごとに、この兎のことを思い出さねばならない。

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巻5の19 「天竺の亀、人の恩を報ぜる語(天竺亀、報人恩語)
(内容)
 今は昔、天竺で、釣った亀を持ち歩いている人がいた。道心ある人がこれに行き逢って、この亀を乞い求め、高値で買い受けて逃がしてやった。
 その後のこと、この亀を逃がした人が寝ていると、枕元でこそこそと気配がした。頭をもたげて「何だ」と見ると枕元に三尺(1m弱)ばかりの亀がいた。驚いて、「これは如何なる亀だ」と問うと、亀は応えた。
「私は以前に逃がしてもらった亀です。釣られて殺されるところを、買い受けて逃がして頂いた嬉しさをどうにかしてお返しせねばと思いながらも、果たせぬまま月日を過ごしていました。このたび、この近辺に大きな事件が起こるのでお伝えしようと参りました。その事件というのは、こちらの向かいに河がありますが、これが喩えようもないほどに増水して、人・馬・牛、あるもの全てが流され、みな死んでしまうのです。もちろん、こちらの御家も水底になってしまいます。すみやかに船をご用意になり、川上から水が増し下ってきたらば、親しい人とともに船に乗って生き延びて下さいませ」
 亀はそう言うと去っていった。

 奇怪な話とは思ったが、わざわざ言ってくるのだからきっと理由があるのだろうと思い、船を用意して家の前に繋ぎ、荷物を仕立てて積み込んだ。すると夕方になって大雨が降り風が吹きすさみ夜通し止むことがなかった。やや明るくなってきた頃、川上のほうから増水した波が山のようになって下って来ているのが見えた。家族とともに急いで船に乗り込むと、小高いほうを目指して漕ぎ進んだ。すると大きな亀が水に流れてゆくのを見つけた。
「私は先日の亀です。御船に乗せてください」
家族は「早く乗りなさい」と喜んで乗せた。
小高い方へと漕ぎ進むと、大きな蛇が流されている。
「助けてください。死んでしまいます」
蛇が命乞いをしている。船上の人たちは誰も「助けよう」と言わないので、亀が言った。
「あの蛇はこのままでは死んでしまいます。助けてやってください」
 男はこたえた。
「乗せるわけにはいかん。小さい蛇でも恐ろしいのに、ましてやあんなに大きな蛇をどうして乗せられよう。こっちが呑み込まれてしまうではないか。無益なことだ」
「決して呑み込みはしません。乗せてやってください。こういう者は助けてやったほうが吉いものです」
 亀が心配せぬように言うので、男は蛇を乗せてやった。蛇は舳先にわだかまった。大きな蛇ではあったが、船が大きかったので狭くもならなかった。
 さらに漕いでゆくと、が流されていた。船を見つけて、蛇と同じように助けを乞うて叫んでいる。亀が「助けてやってください」というので狐を乗せてやった。
 さらに漕いでゆくと、男が一人流されていた。船を見つけて、助けを乞い叫んでいる。船の男が漕ぎ寄ってゆくと亀が言う。
「彼を乗せてはいけません。獣達は恩義をよく理解するものですが、人間は恩知らずなものです。死ぬでしょうが、咎(とが)にはあたりません」
男は亀のほうに向きなおって、
「恐ろしい蛇をも慈悲の心をおこして乗せた。いわんや同じ人間をどうして乗せずにいられよう」
 そう言うと漕ぎ寄って乗せた。男は喜び、手をすり合わせて泣きじゃくっていた。
 そうして適当な場所を得、船を漕ぎ寄せていると、水かさが落ちて元の河へと戻った。乗り込んでいた者らは、各々去っていった。
 その後のこと、船主の男が道にて先ごろの蛇に出会った。蛇は男に言った。
「あれからずっと申し上げようと思っていましたが、お会いできなかったので申しておりませんでした。命を救っていただいたこの喜びをお返しします。どうぞついていらしてください」
 そう言って這ってゆき、奥の広い墓穴へと這入った。「どうぞついていらしてください」と蛇が言う。男は恐ろしかったが、穴へと入った。中へ入ると蛇が言った。
「ここには多くの財宝があります。みな私のものです。命を助けて頂いた喜びのお礼として、あるだけ全て持っていって下さい」
 蛇はそう言うと穴を出、去っていってしまった。男はあらためて人を手配して墓の中の財宝をすべて運び出した。
 かくして、男の家には財宝が満ち、いざ心のままに使おうとしたところ、助けてやった男が来た。船主の男が「どうして来たんだ?」と言うと、「命を助けて頂いた嬉しさに来ました」と言いながら、家中に財宝が積み上げられていることに気付いた。
「この宝の山はどうしたことですか?」
 船主の男は、あったことの次第を語って聞かせて言った。
「これはふってわいたような財です。分けて下さいよ」
 そう言うので宝を少し分け与えた。
「これはずいぶん少なく下さったものですね。ながく蓄えてきた財でもなし、不意に得たものでしょう。半分ぐらいくれたっていいではないですか。」
「これは酷い話ですね。私は蛇を助けて、蛇から恩返しにと貰ったのです。あなたは蛇のように恩返しもしないうえ、人のものを乞うから、おかしな話とは思いながらも少し分け与えたというのに、どうして半分寄越せだなどと言うんだ」
船主の男がそう言うと、助けられた男は腹を立て、もらった宝を放り投げて去っていった。

 船主の男は国王のもとへ参じた。
「私めは、墓を穿って多くの財宝を運び取りました」
 そう言うと船主の男は捕えられ牢獄に入れられた。きつく縛られて、四肢を拡げて地に伏せつけられた。船主の男は叫び声をあげて苦しみまどった。すると、伏せつけられた頭の上のほうで、こそこそ気配がする。見れば例の亀である。
「こんどは何で来たのだ?」
「ひどく戒められていらっしゃると知って参りました。だから人間を乗せてはならないと申したのです。人間とはかくも恩知らずなものなのです。いまさら言っても仕方のないことですが……。とはいえ、このようなむごたらしい目に遭わされていらっしゃるべきではありません」
 亀はそう言うと、狐と蛇といっしょに船主の男を救う方法を相談した。
「狐が宮内で鳴き騒ぐ。そうすれば国王は驚いて占師に吉凶を聞きに行くだろう。そうしたら、宮にいる国王の寵愛する姫に厳重に用心するよう占わせよう。そして蛇と亀で姫が重い病うぃ患うように術をなそう」
 三匹はそう決めてその場を離れた。
 翌日のこと、牢獄の前に人々が集まっていた。
「王宮で百千万の狐が鳴き騒いだので、国王が慌てて占師に問うた。国王と姫に厳重に用心するよう占いが出たが、姫が病を患われて腹が膨らみ始め、今は危篤だという。宮内は大騒ぎになっている」
 船主の男がそれを聞いていると、牢獄のところに人がきた。
 「このたびの災いについて何の祟りか問うたところ『罪なき人を牢獄に入れたことの祟り』と占いが出た。牢獄に該当する者がいるかどうか調べる」 そう言うと牢獄の者を一人づつ訊きまわった。そしてこの船主の男のところへ来た。
「まさにこの男だ」
 訊きに来た人は戻ってこれを国王に伝えた。国王は船主の男を召し出し、これまでにあったことの全てを話させた。
「罪のない者を罰してしまった。ただちに免除する」
 国王はそう言って船主の男を許し、「意地汚い男を罰するべきだ」と、助けられたほうの男を召すと厳罰を与えた。しかれば亀が言った「人間は恩知らずなもの」とは間違いなかったと、船主は思い知ったのだ。このように語り伝えられる話である。
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巻5の20
「天竺の狐、自ら獣の王と称して獅子に乗り死にたる語(天竺狐、自称獣王乗師子死語)

(内容)
 今は昔、天竺に古い寺があった。一人の比丘(びく:出家した男子)がおり、僧房に住し、常に読経していたが、そこにはが一匹住んでいて、いつも経を聞いていた。その経文には「およそ人も獣も、心を高く持っていればものの王となる」とあった。
 狐はこれを聞いて思った。
「では私は心を高く持ち、獣の王となろう」
 気高い心持ちをして、狐は寺を出ていった。道をゆくと別の狐に出会った。その狐は首を高く上げて威圧しようとしてきた。ところがこちらが気高い様子でいるものだから、その狐は怖気づいてしまった。そこで気高い狐はその狐を呼び寄せて、その背に乗った。
 さて、気高い狐が道を行くと、また狐に出会った。今度の狐は、狐に乗っている狐が気高い様子なので、「これは何か故のあることなのだろう」と、畏まった。そこで気高い狐はその狐を呼び寄せて、馬のように手綱をつけた。そのようにして、気高い狐は会う狐、会う狐を家来にし、左右に家来狐の手綱をとって、千万の家来狐を引き連れて行進した。
 気高い狐の行進は、つづいて犬に出会った。犬は思った。「これは獣の王に違いない。畏まっていよう」。すると気高い狐は犬を呼び寄せ、これを従えた。同じようにしてたくさんの犬が集まったので、気高い狐は犬を手綱にとり、犬の大群を従えて行進した。
 気高い狐はこの調子で、次に虎を従え、熊を従えてこれに乗った。このようにして諸々の獣を眷属(けんぞく:ここでは家族のような意)にして行進していると、今度は象に出会った。象も道の傍に畏まっていたので、今度は象に乗り、象を集めて行進した。気高い狐は、狐から始めて象に至るまで、諸々の獣を従えてその王となっていた。
 気高い狐は次に獅子と出会った。獅子は思った。「象に乗った狐が、千万の獣を従えてやってきた。これは何か故のあることなのだろう」そこで獅子は道傍に膝を屈めて畏まっていた。気高い狐は「狐の身でありながらこんなにも多くの獣を従えるに至った。今度は獅子の王となろう」と思った。獅子を呼び寄せると、獅子は畏まったようすでやって来た。
「私はお前に乗ろうと思う。さあ、乗せておくれ」
「諸獣の王たるあなた様の仰せなら、どうぞお乗りください」
 獅子は応えた。そこで気高い狐は思っていた。「自分は狐でありながら、思いもかけず象の王にまでなり、遂には獅子の王にもなろうとしている。これは滅多にあることではない」そんなことを思いつつ獅子の背に乗った。
 気高い狐は、いよいよその頭を高く、耳をピッと立て、鼻の穴を膨らませ、世間のことを見下して、獅子に乗って行進した。両の手には象を手綱にとりながら、「今度はたくさんの獅子を集めてやろう」と、広い草原を行進していった。
 行進をしながら、象をはじめ諸々の獣たちは考えていた。「獅子の咆哮は万獣を震え上がらせ、死に至らしめるものだという。それが今や獅子はわれわれの王の徳に従い、仲間となって共に道を歩んでいる。これは何とも不思議なことだ」
 ときに獅子は日に一度は必ず吠えるものである。
 正午ちかくなった頃、獅子がにわかに頭をもたげ、鼻息を荒げ、目つきが険しくなってきた。ぐるぐるとその眼を動かしてあたりを睨み廻している。象をはじめとした諸々の獣は「何が起きるんだろうか」と気が気でなく、身も凍る思いで見守っていた。気高い狐も獅子の背中から、何やら獅子のうなじの毛が逆巻いて、耳が鋭く立ち上がっているのを見、転げ落ちてしまいそうになるのを堪えて、心を高く保てるよう「私は獅子の王だ」と繰り返し念じてうずくまった。
 すると獅子は雷鳴の轟きのような響きを鳴らしつつ、両の足を高々と揚げて立ち上がり、草原の遥か彼方に向かって咆哮した。乗っていた気高い狐は転げ落ちて倒れた。手綱をひいていた象をはじめ、諸々の獣たちも一斉に倒れ伏してしまった。
 獅子は思った。「この狐は獣の王と思ったからこそ背にも乗せたのだが、俺がすこし吠えただけで転げ落ちて死んでしまった。これでは、まして俺が力を込め、手で土を掻きながら大きく吠えでもしたら身がもたなかったろう。どうやら思慮の浅い野郎にまんまと乗せられてしまったようだ」獅子はそう思って山のほうへと帰っていった。
 気を失っていた獣たちは、次々に目を覚ますと正気を失いかけながらもふらふらと元の居場所へと帰った。獅子に乗っていた気高い狐と、他の獣のいくらかは死んでしまっていた。
 象に乗ったところで止していれば善かったものだが、獅子に乗るのは身に余ったことであった。人々はそれぞれ身の程を知って、過分の事を求めぬようにと語り伝える話である。

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巻5の21
「天竺の狐、虎の威を借り責められて菩提心をおこせる語(天竺狐、借虎威被責■菩提心語)

 菩薩(神)になると言われた狐。弁財天(河川の神)と堅牢地神(大地の神)の二つの名を得るといわれます。稲荷とは一言もありませんが、役目はお稲荷さんと重なっています。
 説話は「虎の威を借る狐」の説明と言っていますが、狐のことわざ・慣用句のほうもご覧下さい。

(内容)
 今は昔、天竺のとある国のとある山でのこと。その山に一匹のが住んでいた。また、一匹の虎が住んでいた。この狐は、この虎の威を借りて諸々の獣を威していた。そのことを聞いた虎は、狐に文句を言った。
「お前はどうして、俺の威を借りて諸々の獣を威すんだ!」
 狐は「神に誓ってそんなことはしていない」というが、虎は信用しない。狐はなす術なく感じてその場を走って逃げようとしたところ、不意に開いていた空井戸の穴に落ちてしまった。井戸は深く、登りようもなかった。狐は井戸の底に突っ伏しながら、世のはかなさを感じ入っていた。と、そこで狐は発心し、思った。「薩?王子(サッタ王子:釈迦の前世の名)は飢えた虎に己の身を与えて菩提心をおこされたという。いまの私もそのようなものだな」
 その時、大地がにわかに鳴動し六欲天がみな動じ、これにより文殊と帝釈天が共に仙人の姿をとってお姿をあらわし給うた。仙人は井戸の傍らに立って狐に問うた。
「汝は如何なる心を起こし、いかなる願いをおこしたのだ?」
 狐はこれに応えて言った。
「もし、それをご存知になりたく思し召すなら、まずは私をここから引き上げください。それからこたえます」
 仙人らは狐の言うとおり引き上げた。
「早く言いなさい」
 仙人らは狐を責め立てたが、狐は引き上げられてすっかり発心したことも忘れ、答えず逃げてしまおうと思っていた。仙人はこの心を見抜くと、たちまち降魔の相(ごうまのそう:釈尊が天魔を降伏させたときの相)となり、剣と矛でもって狐を責めはじめた。狐はたまらずさっき思ったままのことを話した。
「汝はここに発心したことによって、この命が終わってから釈迦仏の御世で菩薩となり、二つの名を得るでしょう。ひとつは大弁才天(サラスヴァティー。河川の神)、もうひとつは堅牢地神(大地の神)といいます。八万四千の鬼神を従えて、全て衆生に福を授けるのです」
 言い終えると仙人らの姿はかき消えた。
 このときの仙人は今の文殊であり、狐は今の堅牢地神である。この神(菩薩)は身の丈は千丈、八つの手を持ち、二つは合掌、六つは鎰(かぎ)・鋤(すき)・鎌・■(くわ)等を持ち、一切衆生に五穀をつくらしめ、福を与えるのである。九億四千の鬼神が此の神に仕える。
 されば一念の菩提心をおこすことは不可思議なことである。世間に狐は虎の威を借るということはこのことを言うのだと語り伝える話である。

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巻12の40 「金峰山の薊の嶽の良算持経者の語(金峰山薊嶽良算持経者語)

 狐はチョイ役。

(あらすじ)
 金峰山(みたけ)の薊(あざみ)の嶽にいた良算持経者という聖人が、山に籠るまま法華経を読み唱え続け、あらわれる鬼神にも惑わされず読経を続けたところ、鬼神をはじめ、熊・・毒蛇さえもが聖人への供養に諸々のものを持ち寄った。聖人は入滅に際してはじめて笑みを浮かべ「煩悩不浄の身を捨て、清浄微妙の身を得られると思うと嬉しい」と言ったという話。

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巻14の5
「子狐の死にたるを救はむがために法花を写せる人のこと(為救野干死写法花人語)」
 物語の中になぜかツッコミどころがあります。念のためにいいますが、僕はいじっていない。
(内容)
 今は昔、若く美しい侍が朱雀門を通りかかったところ、十七・八歳ほどの容姿端麗の娘がいた。男は通り過ぎがたく感じて、門の内へと呼び寄せていろいろと口説いたが、女は拒みつつ訴えた。
「私があなたの望みに従うと、命を失ってしまいます」
 また、
「あなたは家も妻子もあって、ただ行きずりのことでしょうけど、わたしは一時の恋のため、あなたに代わって命を失ってしまう」
 そう言って泣く。
 しかしついには、女は男の云うことにしたがった。日が暮れて二人は近所の宿を借り、夜すがらに契りを交わした。
 夜が明けた。女は帰ると告げ、そして言い添えた。
「わたしがあなたの代わりに命を失うことは疑いようがありません。私のために法華経を書写供養して後世をとむらってください。」
「男女が情を通わすのは世の常ではないか。けれども、人はいずれ必ず死ぬものだろう。だから、もし君が死んだら法華経を書写供養するよ」
 男は信じる気もない。
「わたしが死ぬというのが真実かどうか知りたければ、明朝、武徳殿に行って見てください。」
 女は「しるしにしますね」と男の扇を取ると泣きながら去っていった。

 あくる朝、もしもと思って武徳殿を訪ねた。すると白髪の老嫗が泣きじゃくっている。
「何をそんなに泣くのですか」
 男が声をかると老嫗は応えた。
「わたしは昨晩の女の母だ。あなたに伝えることがあって待っていた」
 老嫗が指をさし示す。「死人はあそこにいる」
言い終えて老嫗はかき消すように失せた。男が示された殿内のほうへ寄って見ると、若い狐が扇で顔を覆って死んでいた。扇は男のものだ。
「昨夜の女は狐であったか。……動物とやってしまった」
 ともあれ男は七日ごとに法華経一部を供養し、女の後世をとむらいました。

 四十九日も満たぬうち、夢に天女のような姿をして女が現れた。
「あなたが法華経を供養して救ってくれたので、未来永劫の罪が滅せられて、いま、■利天(とうりてん)に生まれました。この恩は計りがたく、忘れがたいものです」
 女はそう言うと空へと昇ってゆきました。空には妙なる楽が鳴りわたっていました。夢から覚めた男は、いよいよ信をおこして法華経を供養しました。

 ――この男のこころは有難いものです。たとえ女の遺言であったといえども、約束を守り後世をとむらいました。それも前世の善知識となるでしょう。
 この男の語ったことを聞き継ぎ語り継いだ物語です。
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巻14の22
「比睿の山の西塔の僧春命、法花を読誦して前生を知れる語(比睿山西塔僧春命、読誦法花知前生語)
(内容)
 今は昔、比睿の山(比叡山)の西塔に春命という僧がいた。幼いうちから山に登り、師について法華経を習っては昼夜を問わずひたすらに読誦していた。昼は房に居ながら終日に法花(法華経)を誦し、夜は山内の釈迦堂に籠って誦した。
 ただひたすら法花経を誦して年月を過ごしていると、あるとき夢に、半ば透けたような姿の天女があらわれて、このように告げた。
「汝は前世、子狐(原文は野干/ルビにコギツネ)の身をうけて生まれ、この山の法花堂の天井の上に住み、常に法花経を聞き法螺の音を聴いていたのだ。それが為に、今生は人に生まれて僧となり、法花経を誦すことになったのだ。人の身に生まれることも、仏法に触れることも、なかなか得がたいことであるぞ。これよりは一層、心を起こして励むが良い」
 天女がそう告げたところで目が覚めた。
 その後、前世の因果を知った春命は、この因果の道理を深く信じて、ついには法花経の読誦は六万回を数え、その後は数えることも止めてしまった。
 春命の最期は病を患いはしたが、重く患い苦しむこともなく、法花経を誦しながら思い残すこともなく果てたと語り伝えられる。
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巻16の17
「備中国の賀陽の良藤、狐の夫となりて観音の助けを得たる語(備中國賀陽良藤、為狐夫得観音助語)」
 狐に化かされた男の話。浦島太郎の系統に似た話柄です。

(内容)
 今は昔、備中国賀陽郡葦守の郷に賀陽の良藤という裕福な両替商がいた。
 寛平8(896)年の秋のこと。妻が京に出かけ、そのあいだ良藤はひとり、屋敷で過ごしていた。ある日の暮方のこと、散歩をしていると見かけない美麗な娘を見かけた。欲をおこして良藤が近づこうとすると、娘は逃げるふうだったので駆け寄って捕まえた。良藤は「あなたはどのような人ですか?」と問う。
「どうという者ではありません」
 そう応えた娘は可憐であった。良藤は屋敷に誘ったが拒むので、「ならあなたのところについて行くよ」と、ついていくと案外近くに瀟洒な家があった。家内には人も抱えていて、「お戻りになられました」と慌しい。良藤はこんな屋敷の娘なのかと嬉しくなり、その夜は娘と通じた。
 あくる朝、家の主人に挨拶をした良藤は娘に心が移り、ここに寝起きするようになり、もとの家のこと、子供らのことを思い出さなくなった。
 元の屋敷では戻らない主を、「またどこかに言ってしまった」などと言い合っていた。ところが今回は普段着で出たのがいつまでも帰らない。ほうぼう捜したが分からない。

 良藤のほうでは年月が去り、妻は懐妊し子が生まれ、情は益々深まって満ち足りた日々が過ぎていた。

 元の屋敷では良藤の兄弟や子が集まり、もはや屍すら求め得ないと嘆きながら、良藤の背丈と同じ十一面観音像を造立し、日々に後世をとぶらっていた。

 あるとき良藤のほうに、杖をついた男が訪ねてきた。すると家人はこの男を激しく恐れ、ちりぢりに逃げてしまった。男は良藤の背を杖の先で突き、どこか狭いところから良藤を引っ張り出した。
 元の屋敷では、人々が悲しんでいた。すると庭先の蔵の影から黒い猿のような人影が這い出してきた。「何だ何だ」とはやし立てると「私だ」という。良藤である。父の声を認めた息子が良藤に何があったかを問うた。
「妻の留守に浮気心を起こして、行った先で暮らしていた。かわいい息子も生まれて……」
 良藤はこれまでの日々のことを告白し「その子を世継ぎにしたいのだ」とまで言う。そうは言われても息子は不審である。というのも、良藤が失踪してから13日しか経っていない。「その子はどこにいるのですか」と問えば蔵のほうを指差した。兄弟をはじめ家人らは奇異に感じて、良藤の様子を眺めたが、病人のように痩せ、衣類は失踪のときのままである。蔵の下を確かめさせたところ、多くのが逃げて行った。その逃げた跡を見ると良藤が伏せていた形跡がある。
「これは良藤が狐に謀られてのことではないか」
 家の者らは事態を知って、僧をよび祈らせ、陰陽師に祓わせ、何度も沐浴させたが昔の通りではない風情であった。
 後に良藤は正気を取り戻したが、彼は13日を13年として暮らしていて、蔵の下はわずか四・五寸であったが広い屋敷だと思っていた。これは霊狐の徳(※)である。杖をもった男というのは十一面観音の化身であったのだろう。
 されば世の人々は専ら観音を念じ奉ることである。その後、良藤はつつがなく、六十一まで生きた。この話は三善の清行の宰相が備中守であったとき、伝えられていた話を聞き、語り継いだものである。

※原文では「霊狐の■■の徳也」とあって■は欠字。
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巻17の33
「比叡の山の僧、虚空蔵の助けにより智(さとり)を得たる語(比叡山僧、依虚空蔵助得智語)

 長いので「あらすじ」です。狐も出てこないし。

(あらすじ)
 あるとき比叡山にいた若い僧の話である。彼は学問をおろそかにして遊びほうけていた。ただ、よく法輪寺には通い、虚空蔵菩薩を参詣し己の無学を嘆いていた。
 9月のある日に若い僧は法輪寺に詣でたが、帰りが遅くなった。帰途にて日没を迎えたため、宿を借りに唐門の邸を訪うと美しい女主の家だった。若い僧はそこに泊まり、その夜、誘惑に駆られて女主の寝所を訪れた。女主は未亡人であったが、「法花経をそらんじるくらいの者とでなければ寝たくはない」という。若い僧は一念発起し、二十日かけて法花経をそらんじるようになり、また女主の寝床をたずねた。ところが今度は「3年山に籠って修行する」ことになってしまった。女主に会いたさに三年のあいだ学問に励んだ若い僧は、ついに山でも知られるほどに仏道を学び修めて、また女主を訪れた。
 女主は若い僧が立派に学問を修めていたことに喜び、いろいろと仏法について質問を投げかけてきた。若い僧はそれぞれ答え、女主が仏法に通じていることに驚いた。
 その夜ついに若い僧は女主の床に入った。しかし若い僧は床に寝て話すうち、疲れから眠ってしまった。しばらくし若い僧が目覚めると、彼は嵯峨野の東渡の野のただ中で薄(ススキ)の束を抱き寄せているのであった。若い僧は慌て恐れてそこを去り、床に伏した。すると夢に小柄で美しい僧があらわれて「汝は狐・狸等に謀られたのではない。汝は遊びほうけてはいるが、無学を恥じる心はあったので、私が一計を案じ、汝の女好きに付け込んで智(さとり)へと導いたのだ」という。小柄の美しい僧は虚空蔵菩薩であり、女主もまた虚空蔵菩薩の化した姿であった。若い僧は感涙し、自らこの話を語り伝えた。

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巻20の7
「染殿の后、天宮(てんぐ)のために■乱
せられたること(染殿后、為天宮被■乱語)」
※(ニョウラン:もてあそばれること)

 狐の登場はわずか。「憑き物」としての狐が登場する話。そこからは聖人の変じた天狗の話です。

(内容)
 今は昔。染殿の后というのは文徳天皇の後母である。容姿美麗で知られたが、常に物の怪に悩まされ、評判のよい僧や修験者に祈祷させたが効果がなかった。
 その頃、大和葛木の山頂の金剛山という所に貴い聖人がいた。久しくそこで修行しており、鉢を飛ばして食事を得、瓶を遣わして水を汲んだ。その霊験は並ぶものがなかった。
 天皇と、后の父である良房大政大臣はこの聖人に祈らしめたく思し召し、ついに聖人が加持祈祷を行った。その験(しるし)はあらたかなもので、后の侍女の一人が忽ちに狂い泣き、嘲りだした。聖人はいよいよこれを加持祈祷し、侍女は縛られ、鞭打たれた。すると侍女の懐から一匹の老狐が転がり出て、逃げようとするが動けず、そこに倒れた。聖人はを繋ぎ置かせて、これを報告申し上げた。后は一両日のうちに平癒した。
 大臣は喜び、聖人をしばらく滞在させていたが、あるときのこと、御几帳の帷子を風がわたり、聖人はその狭間に后の、その美麗なる姿を見てしまった。聖人はたちまちに心を奪われてしまったのである。
 聖人は日々思い煩うようになり、あるとき遂に人目のないときに后の腰に抱きついた。后は怯え、これに気づいた女房らが騒いだため、ちょうど宮中にいた侍医の當間鴨継が気づいてこれを捕らえ、天皇に奏上し、聖人は獄に入れられた。
 獄中の聖人は泣きながらうめいている。「もう死んでしまって鬼と成ろう。そして后のもとに現れるのだ」 獄の司はこれを聞いて大臣に報告した。聖人は山に返すことになった。

 山に帰った聖人であったが、思いは募るばかりであった。しかし、現世にこの願いは叶うわけもない。「やはり鬼に成ろう」 聖人は断食し、十余日の後に死に、たちまち鬼となった。裸体で禿頭、身の丈は八尺ばかりとなり、肌は漆黒、大きく開く口には剣のような歯が並んでいる。
 后のます御几帳にこの鬼が立ち現れた。宮中の者どもは或いは失神し、或いは逃げ迷った。鬼は后を狂わせ奉り、后は扇をさし隠し御帳へと入り給う。女房どもも逃げ隠れていたが、日暮れごろに鬼が去ったのを見届けて后の様子を窺ったが、何事もなく普段と変わらないようであった。
 それからというもの鬼は毎日のように現れた。后は衰え給うようではなかったが、鬼を恋しきものと思し召しているようであり、人々は嘆き悲しむほかなかった。

 あるときこの鬼が人に憑き、「あの鴨継に怨を報じねばならぬ」と言ったという。鴨継は恐れ、恐怖するうちに幾日も経ずして死んだ。鴨継に息子が三四人いたが、これも狂って死んでしまった。
 天皇と大臣はさらに怖れ給い、僧を集めてこの鬼の降伏を祈祷させた。そのかいあって三月ばかり鬼は来ず、后もやや正気を取り戻し給うた。
 このことを聞こし召した天皇は喜ばせ給い、行幸があった。天皇は宮に入り給い、后を悲しみ申し給うと后も悲しみ思し給うた。その容貌はかつてと何ら代わるところはない。
 しばし後、にわかに例の鬼が踊り出て、御帳に入っていった。天皇が奇異に御覧ずると、后はやにわに立ち上がると例の如く御帳へと入り給うてしまった。大臣・公卿をはじめ百官なすすべもなく、鬼のなすがままであった。天皇はすべもなく思し召し、帰らせ給うた。

 しからば女人はこのような法師に近づいてはならない。この話は失礼で憚られるものであるが、末世の人々に伝え、法師に近づかぬよう戒めるために伝えられる話という。

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巻20の9
「天狗を祭りし法師、男にこの術を習しめむとしたること(祭天狗法師、擬男習此術語)」
 外術を用いる下級宗教者がをも使っていたことがわかりますが、話そのものは狐がいないので省略です。「外術」はここでは幻術のような概念です。正当な術という認識ではありません。

(内容)
 今は昔、京に外術というものを好んでおこなう下衆法師がいた。履いている足駄を犬の子にして這わせたり、懐から狐を鳴かせ出したり、牛馬の尻から入って口から出たりした。
(後略:狐はもう出てこないんです)

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巻23の17
「尾張国の女、美濃の狐を伏したること(尾張國女、伏美濃狐語)」

 内容は『日本霊異記』の中巻‐第4「力ある女の、力くらべを試みし縁」の再録。

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巻25の6
「春宮の大進源頼光朝臣、狐を射たること(春宮大進源頼光朝臣、射狐事)」

 源頼光朝臣の弓の名手ぶりを讃える話。獲物が狐ですが、実に現実的な狐が狩られます。この時代までくると却って珍しいもののように思います。あくまで話が源頼光を讃えることに重きを置いているのだと思いますが、だったら狸でも狩ってくれと。せめて食うなりせよと。

(内容)
 今は昔、三条(院)天皇が春宮(トウグウ)におわしますときのこと、東三条におわしますとき西の透渡殿に殿上人が二三人いた。すると辰巳のほうの御堂の軒に狐が出て、丸くなって寝た。春宮の大進であった源頼光朝臣がその中にいた。春宮が御弓と蟇目(木製のやじりの矢)を給いて「あの狐を射よ」と仰せ給うた。頼光は辞退の旨を述べつつ、話す間に狐が逃げてくれないかと思っていたが、悪いことによく寝ている。「本気で射よ」との仰せに、蟇目をつがった。
「このように遠いものを射るには、蟇目は重く、ふつうは届かないものです」
 そういって矢の丈の限り弓をひく。矢は暗がりへと放たれると、狐の胸を射当てた。狐は頭を高く立ち上げ、逆さに転がって池に落ちた。春宮も殿上人らもこれには驚いた。狐は水に死んでいたので、人に言って捨てさせた。
 後に頼光は春宮より御馬を賜り、御馬にまたがると言った。
「このたびの矢は私の射たものでなく、守護神が私を助けて射させ給うたものです」

 この話は世間にも聞き伝えられて、頼光を讃えて語り継がれるものという。

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巻26の17
「利仁将軍若かりし時、京より敦賀に五位を従いてゆきたること(利仁将軍若時従京敦賀将行五位)」
 利仁将軍に脅されておつかいをする羽目になった狐の話。ある程度力のある人は狐の力を勝ることができるということでしょうか。この説話の類型は多く、「狐飛脚型」とよばれます。

(内容)
 今は昔、越前国に利仁将軍という人がいた。
 利仁の主である殿が正月に大饗(盛大な饗宴)を行ったときのこと、そのときは大饗のお下がりを侍らが食っていたのだが、中にいた五位の侍が芋粥をすすりつつ「芋粥は良い。飽きないよ」と言った。すると利仁は言った。「なら、のみ飽きさせて奉りますよ」「おお、それは嬉しいね」そんなやり取りがあった。

 四・五日して利仁は五位に声を掛けた。
「大夫殿、東山の方にご用意をしています。いざ行きましょう」
「嬉しいねえ、でも今日は乗物がない……」
「馬が用意してあります」
 利仁が五位の言葉を遮って馬を示したので、五位も喜び、二人はさっそく東山へと向かった。
 川原を行くに川原を過ぎ、粟田口にかかり、五位も「どこまで、行くんだい?」と問いかけたが、利仁は「もうすぐですよ」と、山科も過ぎ、関山も過ぎ、ついに三井寺に行き着いた。
 三井寺の僧は「これは思いもかけぬことで」などと慌しく接待し、どうやら用意をしたというのはここでもないようだ。
「一体どこへ連れて行こうというのだ」
 五位はあらためて利仁に問うた。
「実は敦賀なんですよ」
「どうかしてるよ。京でそう聞いていれば、支度もしたし、供も連れて来たというのに」
 五位は利仁を責めたが、当の利仁は笑っている。
「『己一人が侍るは千人と思せ』というではないですか」

 琵琶湖のほとり、三津の浜にさしかかったところでが一匹駆け出てきた。
「これは良い使いが出てきたぞ」
 利仁はそう言って、逃げようとする狐を追いたてて、馬から身を乗り出して、ついに狐の後ろ足を捕らえた。狐を吊り上げたまま利仁は狐に話し掛ける。
 「おい狐、今夜じゅうに利仁の敦賀の家に行くのだ。主人がお客様を伴って来るから、明日の朝に高島まで馬を連れて迎えに来るよう伝えよ」といい「今日中に、しかと行き着くのだぞ。お前は変化のできるものなのだから」と告げると狐を放った。
「ズイブンなお使いだね」
 五位が冷やかすと利仁は「まあ見ていてください」と応えた。
 翌朝は早く出発し、高島まで差し掛かると向かってくる一団がある。五位が誰だろうかと見ていると、利仁は言う。
「昨日の狐は、ちゃんと使いを果たしたようですよ」
 五位は利仁が無理を言うと思って冷やかしていたのだが、その中の長とおぼしき男たちが馬を下りて寄ってくる。口々に「ほら、ホントにお帰りになったぞ」などと言っている。利仁は微笑を浮かべた。
「馬はありますか?」
「二頭連れて参りました」

 彼らが食事も用意していたので、路辺で食べることとなった。迎えの長の者が利仁に話し掛けた。
「昨夜、珍しいことがごさいまして」
「どうしました?」
「戌の時ごろ御前が胸の痛みをお訴えになりまして、心配して集まったところ『私は狐だ。殿が京より帰るところに行き会って、三津の浜で捕まった。殿の仰ることはこうだ。「客人をお連れするので馬を二頭……」』」
 と、迎えの命を告げたという。この男どもは慌て怖れて支度をし、ここに参ったのである。
 利仁の屋敷には夕暮れ方に到着した。そこでも家の人らは「ほら、ホントにお帰りになりましたよ」と言い合っていた。

 歓待の宴もひとしきり落ち着いたところで、利仁の舅の有仁が傍へ来た。
「何ですか、急にお戻りになって。お使いのせいで人も病んで可哀想ではないですか」
 利仁は微笑んで応えた。
「試みにしてみたことでしたが、本当に来たのですねえ」

 夜も更けて、五位は寝所に入ったが寝苦しく感じていたところ、女が来て脚を揉んでくれるというので、風のあるところに出た。女を抱き寄せていると、外で声がする。
「下人どもよく聞くのだ。切口三寸・丈五尺の山芋を各々一本とって参れ!」
 五位は不思議に思いつつ寝ることにした。
 朝、庭に出ると寝所の屋根ほどまでに山芋が積まれている。いったい何人の従者がいるというのだろう。すると大釜が五つ六つと運び込まれて、若い下女らが水を注ぎはじめた。よくよく見ると水ではなく、すべて味煎(ミセン:当時珍重された甘味の汁)である。つづいて若い男らが来て、薄刃の刃物で山芋をそぎ入れはじめた。五位は見ているだけで胸やけする思いがした。
「煮上がりました」と、おおきな器が整えられたのだが、五位はもう一杯だに食べきれない。
「飽きてしまったよ」
 五位がそう言うと、皆が笑った。
 見ると向こうの小屋の軒に狐がこちらを覗っている。利仁もこれをみとめた。
「昨日の狐が挨拶に来たようですよ」
 利仁はそう言うと、家人に狐にも食べ物を与えるよう命じた。
 五位は一ト月ばかり滞在し、その間は楽しいことばかりであった。京に上がるときには牛馬をはじめ、あまたの土産をもたされた。

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巻27の28
「京極殿に於いて古歌を詠(なが)めし音(こえ)ありたる語(於京極殿有詠古歌音語)」

(あらすじ)
上東門院(藤原道長の長女、彰子)が京極殿にお住まいのときのこと。三月二十日頃、南の庭は花の盛りであったが、ふと「こぼれてにほふ花ざくらかな」と声が聞こえた。上東門院が誰かいるのかとご覧になったが誰もおらず、捜させたが誰もいなかった。上東門院は「鬼神の声かもしれない」と恐れておられた。
 これは狐などの声ではなく、何か別の「物の霊」がこの歌を好んで詠じたのではなかろうか。夜のことでなしに昼に現われたということは恐ろしいことだ。これがどのような霊のしわざであったかは遂に分からなかった。

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巻27の29
「雅通の中将の家に同じ形の乳母(めのと)二人ありたる語(雅通中将家在同形乳母二人語)」

(内容)
 今は昔、源雅通中将という人がいて、丹波中将と呼ばれていた。その邸は四条の南、室町の西である。
 中将がその邸に住んでいたときのこと、乳母が二歳ほどの稚児を南の庭に遊ばせていたのだが、にわかに稚児が大声で泣く声がして、乳母の罵る声が聞こえた。中将は北庭にいたのだが、何事かと思って大刀(たち)を提げて駆けつけた。すると同じ姿をした二人の乳母が稚児をはさんで、稚児の左右の手足を掴んで引っ張りあっていた。
 中将は奇異に感じて様子をうかがったが、二人の乳母は全く同じ姿で、どちらが本物か定まらない。「一人は狐などに違いない」と、中将は大刀をひらめかしつつ、二人の乳母のもとへ飛び込んだ。すると、片方の乳母の姿がかき消すように失せ、稚児と残った乳母はその場に倒れ伏した。
 中将は家来を呼び、霊験あらたかな僧を呼び寄せて加持をさせたところ、しばらくして乳母が正気に戻った。
「何があったのだ」
 中将が問うと、乳母が答えた。
「若君を遊ばせていたら、庭奥のほうから見知らぬ女が出てきて「これは私の子だ」と言って若君を奪い去ろうとしたのです。私は奪われまいと若君を掴まえていたのですが、そこへ殿が大刀を持って駆け込んできてくださったので、女は若君を離して庭奥に消えてゆきました」
 中将はこれを聞き、ひどく恐ろしい事だと思った。
 このことから、「大人の目の届かないところに子供を遊ばしていてはいけない」と人は言う。狐の化したものであったか、「物の霊」のなせるわざであったかは分からないが、以後このようなことは起きなかったと伝えられている。

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巻27の32 「民部の大夫の頼清の家の女子の語(民部大夫頼清家女子語)」

 木幡といえば狐ゆかりの土地ですね。(→「木幡狐」)

(内容)
 今は昔、民部の大夫■■(欠字)の頼清という人がいた。斉院の年預(雑務職)であったが、勘当され木幡というところに住み移った。
 頼清には小間使いにしていた女がいて、名を参川の御許(みかわのおもと)といった。古くより仕えていたのだが、このたびの勘当で京を離れることになったので、女には暇を与えて京に置いてきた。
 女は久しく京にいたのだが、あるとき頼清の使いの者が来て「急ぎの件があって来た。すぐに参れ、木幡の殿より緊急の呼び出しであるぞ。山科(原文は山城。誤写?)というところに借家の用意もしてある」と言う。女には五歳ほどになる子がいたが、その子をかき抱いて急いで出掛けた。
 行ってみると、いつもに比べて頼清の妻が愛想よくもてなしてくれたが、慌しい様子であったので、女もともに立ち働いて、四・五日が経った。
 頼清の妻が女に声を掛けた。
「木幡の家には留守番の者をおいているんだけど、そこで内緒で話したいことがあります。あちらで落ち合ってくれませんか?」
 女は「承りました」と我が子を同僚に預け、木幡へと出掛けた。
 木幡に着いて邸の中に入る。しんとしているものだろうと思っていたが、何やら賑わしい。見ると、さっき山科にいたはずの同僚たちの姿がある。奇異に感じながらも奥に進み入ると、殿までもがそこにいた。夢でも見ているのかと思い、呆然としていると、
「これは珍しいことだ。参川の御許が来てくれたぞ」
 人々に声が上がった。
「どうして久しく姿を見せてくれなかったんだい? 殿の勘当が免除されたんだ。あなたのところにも伝えさせたんだが、隣家の人から留守だと言われて戻ってきてしまった。どこへ行ってしまったのかと心配したよ」
 人々が口々に言い合った。女は恐れわななきながら、ありのままの事情を話したが、その様子を見て人々の中には笑う声も起きていた。
 女は我が子を置いてきてしまったため「(我が子が)殺されてしまうかもしれない」と狼狽えた。人を頼み、連れだって山城へと来ると、広い野の中に丈高い草が茂るばかりで人の姿などまるで無い。女は胸が苦しくなりながら我が子を探し迷った。すると荻や薄(すすき)の茂る中に、その子が泣いているのを見つけた。母親は喜んで我が子を抱きしめ、木幡にと連れて帰った。女は今あったことを皆に告げ、殿もこれを聞きつけたが、「嘘だろう」と誰も取り合わなかった。しかし同僚らも、そうは言っても野の中に我が子を捨ててきたというのだろうかと不審がった。
 これはおそらく狐などの仕業であろう。我が子を失わずに済んだとはいえ、多くの人の罵るところとなった。このような奇異があったと語り伝えられる話である。

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巻27の33
「西京の人、応天門の上に光る物を見たる語(西京人、見応天門上光物語)

 UFO? うまく理解できない事象を咀嚼するために、かつては狐狸が引っ張り出されていました。おおまか1000年くらいの長期にわたる濡れ衣ですね。(真犯人のことも多いですが…)
 それはそうとこの話、最後まで読んでから、ちょっと振り返ってみてください。
 (; ̄□ ̄)

(内容)
 今は昔、西ノ京に住む者の話である。その家は、父は亡くなっており、年老いた母と二人の息子がいたが、上の子は侍となり人に仕えており、下の子は比叡山の僧となっていた。
 あるとき、その母が重病を患ってしまったので、二人の息子は西ノ京の家にて付き添い看病した。しばらくして病が治まってきたので、弟の僧が三条京極のほとりの師を訪ねに出掛けていった。
 ところが母の病はぶり返し、命が危ぶまれる様子となった。兄が付き添って看病していると母が言った。
「私はもう死にます。ひと目、僧になった弟の姿を見てから死にたい」
 しかし、すでに夜も更けており、従者とすべき家来もない。三条京極への道は遠い。兄はどうしたものか悩んだ。
「明日になったら呼んで来させますよ」
 兄はそう言ったが、母はもう衰弱しきったようすである。
「私はもう、朝を迎えることはできないと思います。弟の顔を見られずに死ぬのが悔しくてなりません」
 そう言いながら母は泣いている。
「そこまでお思いならば、何ということはありません。私が命がけで呼んできます」
 兄は矢を三筋ばかり持って家を出た。
 冬の頃のことであったので、夜の更けた内野通りは風が吹きすさみ、月明かりもない夜闇はこの上もなく恐ろしい。応天門と会昌門の間を抜けてゆこうとして、兄は言いようのない恐怖感に襲われたが、堪えて通り過ぎていった。
 ようやく弟の僧の房に辿り着いたのだが、朝方に修行のため山に登っていってしまったという。これを聞いた兄は直ぐに家へと引き返した。
 来たときと同じように応天門と会昌門ところまで来ると、行きの道にも増して厳しい恐怖感に襲われた。兄は走ってその場を通り抜け、ふと応天門の二階のあたりを仰ぎ見た。するとそこには真っ青に光るものが見える。暗くてよく見定められなかったが、鼠の鳴くような声がし、「かかっ」とわらう声がした。兄は頭の毛が太くなり、死にそうな心地だったが「狐だ。狐のしわざだ」と念じながら西ノ京へと向かった。
 豊楽院の北の野まで来たところ、青く光る球状のものがあった。兄は鏑矢をつがってこれを射た。すると「それ」は光りを散らしながら消えた。兄は家に帰り着くと、恐怖のあまり熱を出し、寝込んでしまった。
 いかにも恐ろしい話であるが、「きっと狐の仕業にちがいない」と、人はいう。

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巻27の37
「狐、大きなる椙木(すぎのき)に変じて射殺されたること(狐、変大榲木被射敏語)」
 化けた動機は不明。というか、狐が化ける動機は「いたずら」ばかり。

(内容)
 今は昔、春日の宮司に中臣■(欠字)という者がおり、その甥に中大夫■(欠字)という者がいた。
 あるときのこと、奈良の都の南にある三橋というところで彼が馬を放していたところ、いつの間にか馬が逃げ失せてしまった。中大夫は従者を一人つれて捜しに出かけた。
 どこかで草を食んでいるのだろうと捜し歩いていると、根元の太さで家二軒分、高さは二十丈ははあろうかという杉の巨木があった。中大夫は従者を呼び寄せ、神妙な顔をして尋ねた。
「私の見間違いか、物の怪にでも惑わされているのか。お主にはこの杉の木が見えるか?」
「しかと見えます……」
「されば迷わせ神に遭って、思いもよらぬ所に迷い込んだのやも知れぬ。これほどの杉の巨樹がこの国にあるはずはない」中大夫はそう言い「これは恐ろしいことだ。すぐに帰ろう」と促した。ところが従者は反論した。
「むざむざこのまま引き下がるのも口惜しいことです。この杉に矢を射立てておいて、明朝にまた見に来ましょう」
「それももっともなことだ。二人で射よう」
 ということで二人で矢をつがい、同時に矢を放った。矢が杉を射たと見えたその瞬間、巨木は消え失せてしまった。
「これは物の怪のしわざに違いない。すぐに立ち去ろう」
 二人は逃げるようにそこを離れた。
 翌朝、中大夫と従者は昨夜の巨木を見に出掛けた。するとそこには一匹の老狐が杉の枝を銜えて、胸に矢を二つ射込まれて死んでいた。
「狐に惑わされていたのか」
 そう言うと矢を引き抜いて去った。

 これは、ついこの二三年前の話である。末法のこの世にも稀有なことが起こるのである。道を踏み違えて知らぬところに入るのは注意すべきと語り伝えるものである。

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巻27の38
「狐、女の形に変じて播磨安高にあいたること(狐、変女形値播磨安高語)」
 記録上、最初に狐の臭い尿の被害に遭遇した播磨安高さんの話。

(内容)
 今は昔、播磨安高という近衛舎人がいた。
 彼が若いころのこと。主である殿が内裏に上がってゆき、安高はしばらく宮内にて待機していたのだが、西の京にある自分の家に戻ることにした。
 従者もなく独り内野通りを行く。九月も中ほどの十日ばかりのことであったから、月あかりは明らかであった。夜更けに宴の松原あたりまで来たところ、濃い袙(あこめ:肌着に近い衣だが外に着ることも)に紫苑色の袙を重ねて来る女童が前を歩いているのが見えた。その姿は月明かりに美しく照らし出されている。安高はその長い沓の音を忍ばせつつ歩みを早め、横に並んだときに振り返って女の顔を見た。女は絵の描かれた扇に顔をさし隠していたが、その額や頬に僅かに乱れた髪がかかっている様は言いようもない風情であった。
 安高が近づいて触れようとすると、薫物(たきもの:数種を調合した香)の香が立ち昇る。
「こんな夜更けに、どちらへ行こうとするのですか」
「西の京の人に呼ばれているのです」
「そんなところへ行かないで、私のところにいらっしゃいませんか」
「そんな、どこの誰とも御存じでないのに」
 女は笑って応えたが、それがまた可愛らしいのだ。そんなふうに語り合っているうちに殷富門へと入って行く。
 安高はふと人の噂話を思い出した。豊楽院に人をだます狐がいると聞くが、もしやこの女が狐なのかも知れない。だいたい、顔をほとんど見せないのが怪しくはないか。これは一つ驚かしてみれば分かるかもしれん。
 安高は女の袖を引き留めた。女は扇に顔を隠したまま恥じらっている。
「俺は本当は追剥ぎだ」
 安高はそう言うなり女の腰紐を解きつつ、氷のように輝く八寸ほどの刀をその肌にあてた。
「喉を掻き切られたくはなかろう。着ているものをよこせ」
 女の髪を鷲づかみにして、柱に押さえつける。そして安高は女の喉に刀を押し当てた。その瞬間、女はえもいわれぬ臭い尿をひっかけると、その隙に駆け去っていった。女は狐に戻り、門を抜け、コウコウと鳴きながら大宮登に消えた。安高は人であったらと思い殺せなかったが、判っていたら殺していたものをと悔しく見送った。
 その後、安高は朝晩となく内野通りを見回ったが、狐は懲りたのか会うことはなかった。

 野などを行くに良い女を見かけたからといって触れようとするものではない。
 これは安高に心ばえがあり、女に耽溺しなかったとして語り伝える話である。

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巻27の39
「狐、人の妻の形と変じて家に来たること(狐、変人妻形来家語)

 ダメな人の例。もうダメダメです。

(内容)
 今は昔、京のとある雑色(下級役人)の妻が、暮れ方に用事で出かけたのだが帰らない。
「何でこうも遅いのだろう」 夫が不審がっているところに妻が帰って来た。ところが、しばらく経って妻がもう一人帰って来た。
 夫はこの異常事態を「ひとりは狐などが化けているのに違いない」とは思ったが、さてどちらが本物かが分からない。やや考えて「後に入ってきたほうが狐なのではなかろうか」と太刀を抜き、おもむろに後から来た妻に斬りかかろうとした。
「何ということでしょう。私を斬ろうというのですか!」
 後から入ってきた妻は泣き出した。男は「違ったのかな」と振り返るなり、先に入ってきた妻に斬りかかった。と、こちらの妻は泣きながら合掌している。
 男が思いを巡らせるに、こんなときは大抵、先に入ってきたほうが偽者ではないかと思い至った。先に入ってきた妻を捕らえてみると、その妻はひどく臭い尿を散らして、男がひるんだ隙に狐となって戸のすきから大路へと飛び出し、コウコウと鳴きながら逃げていった。

 これを思うに、主人公の男は思慮の浅い者である。しっかり考えて、二人とも縛っておれば、いずれ正体が現れようものである。捕らえ損ねたのは失態である。彼の郷の者らもこの話を聞きつけて、彼を罵ったという。狐はからくも逃げおおせたわけだが、おそらく大路で妻を見かけ、これに変じたものだろう。
 しかれば、このようなときには決して慌てず、よくよく思慮を巡らせるべきである。偶然とはいえ妻を殺さなかったことは幸いと伝えられている話である。

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巻27の40
「狐、人に託(つ)きて取られし玉を乞い返して恩を報ぜること(狐、託人被取玉乞返報恩語)」

 が現れます。石狐のもつ玉(宝珠)ではなくて「狐の媚珠」とか、そういう種類の玉のよう。
 狐たちに「大事なものをみだりに人に見せるものではない」と語り継ぐ話である。

(内容)
 今は昔、物の怪病みを治す所があった。あるとき巫女に物の怪が託(つ)いて云う
「我は狐なり。祟(たたり)をなして現れているのではない。こういうところには自然と食物があるものだから様子を窺っていたところを捕らえられたのだ」
 そう言うと、懐から柑子の実ほどの小さな白い玉を取り出して、手玉にして遊び始めた。それを見た人々は「不可思議な玉だが、おそらくこの巫女が我々を謀るために懐に忍ばせていたのだろう」と見ていたが、中にいた威勢のいい侍が巫女が玉を投げ上げたところを掠め取り、自分の懐に放り込んだ。巫女に託いている狐は慌てた。
「何てことを! その玉を返してください!」
 狐は繰り返し哀願したが、侍が聞き入れずにいたところ、狐は泣く泣く言った。
「その玉は使い方を知らぬ貴方の役には立ちません……私はそれをなくすと、とても困るのです。……返してくれないと怨みますよ? 返してくれたら貴方の守り神にもなりますよ?」
 侍もそれを聞いて、確かにただ持っていても仕方がないもののようだと察した。
「返したら、誠に私を守るというのか? 証拠はあるか?」
「確かに守りますから!」
 玉を返すと狐はとても喜んでいたが、気づいた修験者が戻り、祓われていってしまった。
 この次第を見ていた人々は巫女を縛って座らせて、懐を探ってみた。果たして玉は無くなっていた。皆は玉が本当に狐の持ち物であったことを悟った。

 その後、この侍が太秦の広隆寺に詣でた帰りのことである。暗くなり夜となり、内野を過ぎ応天門まで来たが、今夜は何やら恐ろしく感じてならない。そういえば守護すると言った狐がいたと思い出した。
「きつね、きつね!」
 呼んでみると、コウコウと鳴きながら狐が出てきた。確かに来た。
「狐君、嘘ではなかったのだな。感動したぞ。今夜は何か恐ろしい心地がするので、送っていってくれ」
 狐は先を行きつつ、侍を見返り見返りしながら歩く。するといつもの道ではないところに進み、ふと立ち止まった。侍も立ち止まる。狐は侍のほうを軽く振り返って、背を丸めて忍び足で歩みはじめた。侍も忍び足でついて歩く。すると人の声がするのでそちらをそっと覗くと、武具を携えた盗賊が密議しているところが見える。どうやら鬼やら賊やらのみが知る道を案内されているようだと諒解した。その道が尽き、通りに出たところで狐はいなくなり、侍は無事に屋敷に帰り着いた。
 このこと以外にも、狐はよくこの侍を守護した。「守る」と言ったことに嘘偽りはなく、侍は深く感銘し、また、もし玉を返していなかったら良い結果にはならなかっただろうと感じた。

 この話を思うに、このような(化生の)ものはよく恩を知り、虚言をしないものである。
 されば、もし機会があったなら、このような獣などは助けるべきである。ただし、人については、それぞれの心がけから、なかには獣よりも恩を知らず不実な者もあるので心すべきと語り伝えられるという。

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巻27の41
「高陽川の狐、女に変じて馬の尻に乗れること(高陽川狐、変女乗馬尻語)」
 一度目の化かしは歴史に残るほどの見事さ。(すでに歴史に残っていますね…)
 『今昔物語集』の狐はこれで終わりです。お稲荷さんの眷属の地位を示すことなしに狐はここまでの能力を発揮します。とはいえ、どうもヌケているのだが。
 ちなみに狐がお稲荷さんの眷属になったという話自体は、別に弘仁年中(810〜823)のこととして『稲荷大明神流記』(14世紀半ば成立)に由来譚があります。
(内容)
 今は昔、仁和寺の東に高陽川という川があった。その川辺には、暮れ方になると美麗な女の童(めのわらわ)が現れ、京へ向かう人に「尻馬に乗せてくれ」と言ってくる。乗せて四五町も行くと馬から転げ落ちて、狐になってコウコウと鳴きながら逃げてゆくのだという。
 瀧口(宮中警備)の者らが集まって話しているときに、この高陽川の話題となった。それを聞いた一人の若く威勢の良い瀧口が言った。
 「何故とっ捕まえないんだ! 俺が捕まえてやる! 明晩すぐ、必ず捕まえるぞ!」
 これを聞いた他の瀧口は無理だろうと取り合わず、口論となった。
 結局、威勢の良い瀧口は一人で賢い馬を選んで高陽川に向かった。いざ川を渡ったが、女の童は出てこない。すぐに踵を返して京の方に向き直す。すると、そこに女の童が立っていた。目の前を行き過ぎようとすると
「そこの方、御馬の尻に乗せていただけませんか?」
 女の童は声を掛けてきた。
「早く乗るがよい。どこに行くのだ?」
「京へ行くのですが、日が暮れてきたので御馬の尻に乗せていただきたいと思いまして」
 瀧口は女の童を乗せると、用意していた縄でもって鞍に縛り付けた。
「何故このようなことをなさるのですか」
 瀧口は答えた。
「今宵はお前を抱いて寝ようと思うのに、逃げられては困るからな」

 一条を東へ抜け、西の大宮を過ぎた。すると東から、火を灯した多数の車列が、人ばらいの声高らかに向かってくる。「身分の高い人の列か」と、瀧口は馬を翻すと二条へ迂回することにした。土御門まで来たところで瀧口は馬を待たせ、物陰に声を掛ける。
「みんな居るか?」
「おう!」
 門より十人ばかりも仲間が出てきた。若い瀧口は馬に戻ると女の童の縄を解き、腕を掴み、仲間達が居並んで火を灯している前にひっぱり出した。
「どうなった?」
「これだ。捕まえてきたぞ」
 女の童を皆の前に晒した。女の童は泣き出し、「お許しください」と詫びまどっている。瀧口たちは火を集めると大きく燃やし、「中に放り込め!」と囃し立てた。若い瀧口が「もはや逃れられんし、火に放り込まずもよかろう」と言うと、瀧口たちはそろって矢をつがいはじめた。
「ならば手を離せ! これだけの人数だ、よもや射そこなうこともあるまい」
「わかったよ」
 若い瀧口が女の童の腕を離すと、たちまち狐になってコウコウと鳴き逃げる。居並んでいた瀧口たちは掻き消したようにいなくなり、焚き上がっていた炎は消え、あたりは暗闇になった。若い瀧口は慌てて仲間を呼んだが一人の応えもない。
 眼が慣れて見渡すと、いつの間にか野の中にただ一人で居る。若い瀧口はあまりのことに胸が苦しく、もはや生きた心地がしない。ただ平静を取り戻すよう努めて、どうやら鳥辺野のただ中に居ることが分かった。土御門で下りたはずの馬はどうなったのだろうか。一条で見た火を灯した列も狐であったに違いない。そう思うと、いつまでも此処には居られないと家路を急いだ。

 翌日、若い瀧口は気分が悪く、一日死んだように臥せっていた。一方、仲間の瀧口たちは夜通し待っていたのに来なかったので、「何が『とっ捕まえてくる!』だよ」と、嘲笑した。

 三日ののち、若い瀧口が仲間のもとに現れたが、大病を患ったかのような態である。
「あの晩の狐はどうした?」
 声を掛けられた若い瀧口は答えた。
「あの晩は酷く体調を崩して行けなかったのだ。今夜こそ行ってくる」
「なら今度は二匹捕らえてくるがいい」
 瀧口たちは嘲笑したが、若い瀧口は言葉少なに出て行った。彼は心に思っていた。「ひとたび騙しそこなったから、今宵は出ないかもしれん。だが、もし現れ出るようなら夜通し掴まえて離しはしない」と、また、「出て来ないようだったら、二度と仲間の元には顔を出すまい」と。

 その夜は屈強な従者らをともにして、高陽川に馬を向ける。「どうでもいいことに我が身を懸けているが、自分で言い出したことだから仕方ない」若い瀧口は考えていた。
 高陽川を渡ったが、女の童は出てこない。すぐに踵を返して京の方に向き直す。と、女の童が立っている。前と同じく「御馬の尻に乗せていただけませんか?」というので、乗せた。で、前と同じように縄で縛った。一条を行くに暗くなったので、今度は従者に前を、あるいは脇を照らさせて、人ばらいの声を上げさせて歩いた。そのため一人として出会うことがない。土御門にて馬を下り、女の童の髪を掴んで皆のいる処まで連れてゆく。童は泣く泣く詫びまどうが、皆のところに着いた。
「どうなった?」
「これだ。捕まえてきたぞ」
 若い瀧口は、こんどはきつく縛って座らせていたぶった。するとはじめは人であったものが、遂に狐の姿をあらわした。松明の火を近づけ丸裸に毛を焼き、小突き回し、「もうこんなことをするんじゃないぞ」と殺さず放してやった。はじめは足も立たなかったが、しばらくして逃げていった。
 若い瀧口は仲間たちに、前回さんざんな目にあったことを聞かせた。

 十幾日か過ぎた。若い瀧口は試みに、また馬に乗って高陽川に来た。すると例の若い童が大病を患ったかのような態で立っている。若い瀧口が声を掛けた。
「この馬の尻に乗りなさい」
 女の童は、
「乗りたいけれど、焼かれるのは辛い」
 そう言うとどこかへ去っていった。

 人を謀ろうとして、酷く辛い目に遭った狐の話である。これはごく最近の話であるという。珍しいこととして語り伝えた話である。
 狐が人に化けるのは昔からのことだけれど、これは随分と大掛かりな騙しようである。何故に二度目には車も来ず、道も間違えなかったか。これは狐が人の心につけ込んで振舞っていることによるのだと語り伝えるという。
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巻27の42
「左京の属の邦の利延、迷(まどは)し神にあへる語(左京属邦利延、値迷神語)

(内容)
 今は昔、三条の院の天皇の御時の話である。石清水に行幸があったとき(史実:長和二年(1013)十一月)、左京職の邦利延という者がお供したのだが、九条にて留まるべきところを、何を勘違いしたのか長丘の寺戸というところまで行き過ぎていってしまった。
 寺戸で列の者どもらが「このあたりは「迷し神」が出るというぞ」と口々に言い始めた。利延も聞いたことのある噂だと思っていた。日も傾き、そろそろ乙訓川の山崎ノ渡に着く頃だと思っていると、どういうわけか通り過ぎたはずの寺戸の岸を上る道となった。いぶかしみつつ進み、今度こそ乙訓川だと思っていると、道は通り過ぎたはずの桂川を渡る。そうこうするうちに日が暮れてきた。利延がふと面を上げると、前を歩いていた者の姿がない。後ろを見、左右を見るも、誰一人いなくなっている。列の誰一人すらもいなくなってしまった。
 夜がやってきた。利延はしかたなく寺戸の西の板屋根の堂の軒下に夜を明かした。利延は思った。「私は左京職にありながら、九条に留まるべきところをこんなところまで歩いてきてしまった。まったく訳が分からない。しかも行けど行けど同じ場所を巡るばかりだったが、これは九条あたりで「迷し神」に憑かれて狂わされたのだろう」利延は西ノ京の家に引き返した。
 「迷し神」に遭うというのは珍しいことである。このように心を惑わし、道を惑わせるのだ。これは狐などの仕業なのかも知れない。
 この話は利延が語り、珍しいこと故に語り継がれるものである。

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巻27の43
「頼光の郎等、平ノ季武、産せる女にあへる語(頼光郎等、平季武、値産女語)
※「産せる女」:さんせるをむな/うぶめ

(内容)
 今は昔、源頼光朝臣が美濃守であったときのことである。頼光が■■(欠字)郡に入っていたときのこと、夜になって兵士が集まってよろずの物語を話し合っていた。
「――その国に「渡ワタリ(川の一部の名)」というところがある。そこには産女(うぶめ)がいる。夜にその「渡」を渡ってゆこうとすると産女があらわれ、赤子を泣かせて『これ。抱け、抱け』というのだ。」
「では、今からその「渡」に行って渡ってみようではないか」
 それを聞いて、中にいた平季武という者が言った。
「俺はすぐにだって行って渡って見せるぞ」
 それを聞いた別の者らが「千人の軍に一人で正面切って射かけることはできても、いまからその「渡」を渡るなんてできませんよ」と言った。
「たやすいことだ。行って渡ってくる」
 季武がそういうと、周りの者は「あなたがどんな豪傑の士だからといって渡れませんよ」と言い立てた。季武と周りの者は言い争いになって、「只で言い争ってるワケにはゆかない」と、鎧・兜・弓・胡録(やなぐい:矢を入れる筒)、駿馬に鞍を据えたもの、打出の太刀など各々が賭けはじめた。季武も「渡れなかったらそれなりの物を差し出すとしよう」と約束した。
「約束だぞ」
 季武が念を押して言うと、相手方の兵たちは「勿論だ。早く行け」とけしかけた。季武は鎧・兜を身にまとい、弓・胡録を追って従者をともなった。渡ったことを知るために「この胡録の上差(うわざし:一番上の矢)を対岸に渡って地に差して戻るとしよう。朝には分かるだろう」そう言って季武は「渡」に向かった。それを見ていた者の中の若く威勢のいい者が三人ばかり「季武が川を渡るのを見定めてやろう」とかくれて「季武の馬に遅れるな」と追っていったが、季武は既に「渡」に到着していた。
 九月の下つ闇(しもつやみ:月下旬の夜闇)の頃ゆえ真っ暗な夜である。季武は川を「さふりさふり」と渡ってゆく。既に随分と渡った。追ってきた三人は川のこちら側のススキの茂みに潜んで聞き耳を立てていた。季武はどうやら対岸に渡り着いて、矢を立てて戻ってきているようだ。川のただ中で女の声がした。まさに季武に向かって「これ。抱け、抱け」と言う。そして赤子のいかいかと泣く声がする。生臭い匂いが川のこちら側にまで漂ってきた。三人いるといっても、頭の毛が太くなり、限りなく恐ろしい。いわんや渡っている者を思えば、半ば死んだような心地であろう。
「抱いてやろう。ほら」
 季武が声を掛けた。すると産女は「これはこれは。さあ」と、赤子を季武に抱き取らせた。季武は袖の上に赤子を受け取ると、産女が追いかけてきた。「その子をお返しください」と云う産女に季武は「今はまだ返さないぞ」と言ってこちら岸に上がった。
 季武はもとの館に帰ると、三人もついて来ていた。言い争った者らに向かって言った。
「お前らはひどく言い罵ったが、ほらこの通り■■(欠字)の「渡」を渡って、産女の子をとって来てやったぞ」
 季武が右の袖をひらいてみると、木の葉が少しあるばかりであった。
 そのあとで三人が「渡」での出来事を他の者どもに語り聞かせたが、行かなかった者どもはそれを聞いて半ば死んだ心地がした。皆は約束どおりに賭けていたものを差し出したが、季武は受け取らず「言ってみただけのことだ。これぐらいのことが出来なくてどうする」と、賭けの品々を返して取らせた。
 この話を聞いた人は、みな季武を褒め讃えたものである。
 この「産女」というのは「狐が人を謀ったものだ」という人もあり、また「子を産もうとして死んだ女の霊だ」という人もあると語り伝えられる。

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巻27の44
「鈴鹿山を通りし三人、知らざる堂に入りて宿りせる語(通鈴鹿山三人、入宿不知堂語)

 今は昔、伊勢の国より近江の国へと山を越える若い三人の男がいた。使用人の身ではあったが、三人とも心猛く思慮もあった。
 鈴鹿の山を行くと、いつのころから言われているのか、山中には「鬼がいる」と言って誰も宿としない旧い堂があった。こんな道中の堂ではあったが、いい伝えのために誰も立ち寄らなかった。
 夏の頃のことである。この三人が山を越えていると俄かに暗くなって夕立となった。今に止むだろうと深い葉の木の下に入ってやり過ごすことにした。ところが、夕立は止まない。日がすっかり暮れてしまい、一人が言った。
「『あの堂』に宿ろう」
「『あの堂』は昔から鬼が出ると言って誰も寄り付かない堂ではないか。どうしたものだろう」
 二人はそう言ったが、言い出した男は「本当に鬼がいるのか知らん。まあ、食われてしまったらそれまでのことさ。人はいずれ死ぬものだからな」という。「……じゃあ、そうするか」と二人も渋々了解して、暗くなってきたこともあり『あの堂』に入り、宿をとることにした。
 このような堂なので、三人は寝ずに語り合っていた。先刻『堂』に宿ろうと言い出した男が言った。
「昼間の道中で山道に死んでいる男を見た。それを今取って来ようぜ。どうだろう?」
「それをこの夜中に取りに行くのは出来まい」
 二人はそう言うと、言い出した男をけしかけた。
「よし。ならば俺が取ってくる」
 男は着物を脱ぎ捨て、裸になって外に駆け出て行った。
 雨は止むことなく降り続き、真っ暗だ。もう一人の男が着物を脱ぎ捨て、裸になって、先に出た男を追いかけてた。先回りして例の死体にたどり着くと、死体を担いで谷に投げ捨て、死体のあったところに臥した。
 先に出た男がやって来た。死人のふりをしている男を担ぎ上げようとしたところ、死人のふりの男が肩に食いついた。
「こら、食いつくではない。死人よ」
 そう言って男は死体(の男)を担いで駆け戻り、堂の戸に死体を置いた。
「お主らよ。ここに担いで帰ってきたぞ」
 男がそう言って堂の中に入ったところで、死体のふりの男はその場を離れた。男が死体を置いたところに戻ってくると、死体がない。
「 ? 死人が逃げてしまったぞ」
 男が立ちほうけていると、死体のふりをしていた男が出てきた。そして死体のふりをしていたことを話した。
「気ちがいじみたことをする奴だ」
 そう言って二人で堂の中に入っていった。
 この二人の性根はいずれも劣らぬものだが、先に行った男のほうが勝っている。死人のふりをする者はいるやも知れないが、行って持ち帰ってくる者はそうそういないだろう。
 一方、二人の男が出て行っている間、『堂』では天井の格子のそれぞれに奇妙な顔が出たり入ったりしていた。『堂』に残った男は太刀を抜いてひらめかしたので、奇妙な顔はどっと笑い声を上げて消え失せた。残った男は慌て騒ぎもせずにいたのである。されば、この男の性根もたいしたものである。三人ともが豪傑である。夜が明けて、三人は近江へと山を越えていった。
 これを思うに、天井の格子に顔がさし現れたのはの謀ったことに違いない。それを「鬼がいる」と言い伝えたのだろう。三人が何事もなく堂を宿にとって出たあとは、奇怪なことは起こらなかった。まことに鬼であったなら三人にも、その後も何事もないことがあるだろうか。このように伝えられる話である。

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主な参考文献:山田孝雄ほか「今昔物語集」(日本古典文学大系)岩波書店・昭和37年刊

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LAST UPDATA 2006/5/2