櫻田神社
所在地 港区西麻布3−2−17
御祭神 豊宇迦能売大神(とようかのめのおおかみ)
 
 
 
 
 
 

旧霞山カスミザン稲荷社
天水桶に霞山の字と
火炎宝珠が見えます。

櫻田神社

 治承4年(1180)武蔵国の奉行渋谷庄司重国が、霞山(現、溜池から霞ヶ関にかけての小高い一帯)に焼狩をしようとした前夜、その夢枕にご祭神のお使いの白狐が現れ、狩を行えば必ずや祟りがあるであろうと告げました。重国はただちに狩りを中止し、源頼朝公にことの次第を報告したところ、同年11月霞山稲荷大明神として、現在の霞ヶ関桜田門外に社を造り祭るよう命をくだしました。

 後の文治5年(1189)秋、頼朝公は奥州平討奉賽の祭りを行い、神供料として三十貫の田地を寄進され、御神田と一般の田地との境界に桜の木を植えられました。この桜が年毎に咲き誇り、人々が御神田を「桜田」と讃え、付近住民もその住地を桜田村と称するようになりました。尚、この桜は当社御遷座にあたり、内桜田(現、皇居吹上の庭)に移されたと伝えられます。
 文明年間(1461〜86)太田道灌公は当社の縁起を伝え聞き、直ちに神殿を改修再興され、地領の守護神として崇敬されました。また、当時道灌公より太刀甲冑等の寄進を受けましたが「青山火事」により焼失しました。
 当社は永く霞ヶ関に御鎮座になられましたが、徳川氏入国後の寛永元年(1624)に現在地に遷座しました。
 幕末期には新撰組の沖田聡司、明治期には名将乃木希典将軍が初参りに参詣され、将軍が当日着用した産着は赤坂の乃木神社に社宝として保存されています。
 戦前までの大祭では二階屋を優に越す鳳輩を、現在の新橋内幸町に設けられたお旅所まで牛で引かせ、その間を往復する盛大な神幸祭が斎行されました。
 昭和五十年に社殿を改築し現在にいたります。
櫻田神社御由緒書『櫻田神社』より
 文化2年(1805)正月吉日、石工清三郎。
 素直な姿ですが、独特のタッチの狛犬ですね。
境内社 福寿稲荷神社
 境内社には「福寿稲荷」と号されていました。
 櫻田神社は「湊七福神」の寿老人のお宮になっています。

分銅
明治4年12月・石工源治郎
 他に例のない持物のおキツネさんがこちら。
 神主さまにうかがったところ「分銅」とのこと。なるほど、骨董品の分銅がこの形状でした。由来は特に伝わっておらず、奉納者の仕事の関係ではないか、と。奉納者は「当町 
屋 正平衛」、肝心なところが読めそうで読めない。分銅を用いていたのは両替商などです。 よめました(笑)。ます屋サン。
 持物に目を取られがちですが、この狐目(?)のおキツネさん、ふくよかな尾といい江戸末よりの流れを汲んだ姿の良いおキツネさんです。


LAST UPDATE 2006/4/4