古地老稲荷神社
鎮座地 港区白金台1−5
御祭神
「五穀豊穣」「商売繁盛」「火伏の神」
祭儀  4月17日  例大祭
 9月 1日  鎮火祭
 
 
 
 
 
 

八芳園に隣接した境内
古地老稲荷神社

 明和9年(1764)2月、目黒行人坂の大円寺より出火した火災は、白金・三田・麻布に燃え広がる大火災となりました。当時この被害は復興が容易でなかった上、天災に飢餓が相次ぎ、為に百姓一揆や打ちこわし、放火・盗賊が横行し世相騒然としていました。
 そこでそのころの白金村三・四・五丁目の住民らが相謀り、文政12年(1829)年4月、古地郎稲荷を日吉坂上に勧請し、五穀豊穣・商売繁盛・火伏せの御神徳を仰ぐところとなりました。
 爾来地域は安泰となり、殊に火災は絶え、大祭には雨のおしるしまであるところにより、火伏せの稲荷として近郷近在の信仰をあつめ、「火伏の稲荷」、「人丸様」「火止る様」と通称されました。
 大正4年に現在地に遷宮となり、
大正12年の関東大震災、また昭和20年5月の第二次世界大戦大空襲にも、霊妙不可思議にこの地は火災を免れました。
 現在の社殿は明治42年に修復したものであり、勧請百五十年祭にあたる昭和54年には記念碑を建立し、御神徳を現在に伝えています。
「古地郎稲荷神社由来」及び境内の由来書より作成
玉と子 玉と子
大正13年5月新調
 何と云うか、物言いたげな表情のお狐さんです。
 特に奥さんには「あら〜、大変ね〜」とでもフキダシをつけたくなります。
 毛並まで彫り上げられたおキツネさんですが、この石材は毛並のあるおキツネさんに多く見かける砂岩系石材ではなく、硬い石材が選ばれているようです。――彫るのは大変だったでしょうが、きっと長保ちします。
 不思議なことがもう一つ。旦那さんが持っているのは一般的な宝珠です(螺旋渦巻き)。ところが奥さんが持っているのは、尻尾の先のような球体。でも尻尾ではない。何でしょう? まだまだ分からないことばかりです。


 瓦屋根のつくるお宮の雰囲気は、多くの神社が銅版葺となった現在、神仏習合していた江戸時代の面影を伝えているようで好きです。
 「とはいえ瓦屋根の維持と云うのは、それは費用も嵩み大変なものなんですよ」とはお宮を守っていらっしゃる町会長のHさん。気さくにそんな本音も交えつつ、「町の歴史の財産です。お守りしてゆくのですよ」と力強く仰っていらっしゃいました。 

 参道のかたわらに、引退したおキツネさんたちがいました。
 こちらのおキツネさんはどれも力の入った、作りの良いもの揃いです。台石がないため、石匠や建立年月日は不明です。


UPDATE 2006/4/18