| 装束稲荷神社 | |||||||||||||||||||
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| 「王子・狐の行列の会」公式ホームページ |
狐の行列2005〜06 | ||||||||||||||||||
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| 装束稲荷神社 1 今から約千年の昔、この付近一帯は野原や田畑ばかりで、その中に榎の大木があり、そこに社を建てて王子稲荷の摂社として祀られたのがこの装束稲荷です。 この社名のおこりとして伝えられるところによれば、毎年12月の晦日の夜、関東八カ国の稲荷のお使いがこの社に集まり、ここで装束を整えて関東総司の王子稲荷にお参りするのが例になっていて、当時の農民は、その行列のときに燃える狐火の多少によって翌年の作物の豊凶を占ったといいます。 その後、明治中期に榎の大木は枯れ、土地発展に伴いその位置も、現王子二丁目停留所となり、社はその東部に移されました。 昭和20年4月13日の大空襲の際、猛烈な勢いで東南より延焼してきた火災をここで完全に食い止めて、西北一帯の住民を火難から救ったことは有名な事実です。 この霊験あらたかな社が余りにも粗末であったので、地元有志を中心に多数の信者各位が協力し現社殿を造営しました。 この装束稲荷は商売繁盛の守護神のみならず、信心篤きものは衣装に不自由することなく、また火防の神としても先述のとおりで信者の尊崇の高いところです。 |
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| 昭和29年12月吉日・装束稲荷奉賛会「装束稲荷の由来」案内板より | |||||||||||||||||||
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装束稲荷神社 2 かつてこの辺りは一面の田畑で、その中に榎の木がそびえていました。 毎年大晦日の夜、関東各地から集まって来た狐たちが、この榎の下で衣装を改めて王子稲荷神社に参詣した。 この言い伝えから、榎は装束榎と呼ばれていました。狐たちがともす狐火によって、地元の人々は翌年の田畑の豊凶を占ったそうです。 江戸の人々は、商売繁盛の神様として稲荷を厚く信仰しており、王子稲荷神社への参詣も盛んになっていました。やがて、王子稲荷神社の名とともに王子の狐火と装束榎のいいつたえも広く知られるようになり、広重の錦絵の題材にもなりました(左画像)。 昭和4年、装束榎は道路拡張に際して切り倒され、装束榎の碑が現在地に移されました。後に、この榎を記念して装束稲荷神社が設けられました。 平成5年からは、王子の狐火の話を再現しようと、地元の人々によって、王子「狐の行列」が始められました。毎年大晦日から元日にかけての深夜に、狐のお面をかぶった裃姿の人々が、装束稲荷から王子稲荷までの道のりをお囃子と一緒に練り歩く光景が繰り広げられます。 |
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| 平成9年3月・東京都北区教育委員会「王子の狐火と装束榎」案内板 | |||||||||||||||||||
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| LAST UPDATE 2006/2/27 | |||||||||||||||||||