| 王子稲荷神社 | |||||||||||||||||||||||
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| 王子稲荷神社 王子稲荷神社は今から一千年の昔「岸稲荷」と称してこの地にまつられたお社で、社記に 「庚平年中、源頼義、奥州追討の砌り、深く当社を信仰し、関東稲荷総司と崇む」 と伝えており、西暦1060年の平安中頃には相当の社格を有していたものと考えられます。 元享2年(1322)に領主豊島氏が、近隣の地に紀州の熊野神社を勧請し王子神社を祀った処から、地名も王子と改まり、当社も王子稲荷と改称されました。 小田原北条氏は当社を深く尊崇し朱印状を寄せており、江戸時代には、徳川将軍家の祈願所と定められて大層栄えました。 代々の将軍の崇敬は極めて篤く、社参は勿論、三代家光公は寛永11年(1634)社殿を造営し正遷宮料として金五拾両、その他諸道具一式を寄進され、次いで五代綱吉公は元禄16年(1703)に、十代家治公は天明2(1782)年にそれぞれ修繕を寄進され、十一代家斉公は文政5年(1822)に社殿を新規再建されました。八棟造り極彩色の華麗な社殿は文化文政時代の粋を伝え、当時の稲荷信仰の隆盛を偲ばせるものでしたが、昭和20年4月13日の空襲によって本殿等大破しました。 また、江戸時代「神仏習合時代」は「新編武蔵風土記」「江戸名所図会」等にも「本地は聖観世音、薬師如来、陀枳尼天なり」と記されています。明治維新まで禅夷山東光院金輪寺が別当として、王子権現(王子神社)と共に管掌し、住民は「王子両社」と称して等しく氏神として崇めてきました。禅夷山東光院金輪寺は明治維新後に二坊を残して廃寺となりました。 当社へは遠方よりの参拝者が多く、諸方の街道筋に「王子いなりみち」という標石や石灯籠が立てられました。 昭和35年に本殿を再建しましたので、現社殿の拝殿幣殿は文政5年の作、本殿は昭和の作ということになります。昭和62年には165年ぶりに社殿の総塗替が行われました。 境内は台地の中腹約二千坪ですが、昔はこんもりとした杉山で昼なお暗く、山中には沢山の狐が安住し神使として大切にされていました。その跡はいまも「お穴さま」として保存されています。狐にちなむ伝説は数多くありますが、「王子の狐」の落語は当時の模様をよく伝えています。 又、「新編武蔵風土記」「江戸名所図会」「東都歳時記」に記載する「毎歳十二月晦日の夜、諸方の狐夥しくここに集まり来る事、恒例にして今に然り。その灯せる火影に依って、土民、明年の豊凶を卜す。云々」という伝説は最も有名で、「装束榎」は、これらの狐が身支度をした処と伝えられる場所で、その跡には「装束稲荷」の祠が建てられています。 徳川将軍家代々の厚い保護と共に、大老田沼意次が立身出世したのは屋敷に稲荷が祀ってあったからという評判もあって、庶民の間に稲荷信仰が大層盛んになり、中でも王子稲荷の「商売繁盛」と「火防せ」の御神徳は広く知れわたるところとなりました。江戸中期より二月初午には「火防守護の凧守」が授与されるようになり、これを祀ると火難を免れ、息災繁昌するとて、社頭は賑い、縁起の凧を商う凧市が境内で開かれるようになり、東京名物となっています。奴凧が御守になっている由縁には、江戸期の火消しの印半纏と奴凧の姿が結びついたものとか、或いは、凧は風を切るという処から火事を防ぐ御守として採り上げられたものと伝えられています。 |
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| (王子稲荷神社社報「王子稲荷由緒記」より抜粋) | |||||||||||||||||||||||
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王子には狐のはなしが多数あります。落語にもなっている「王子の狐」は噺家によるアレンジもあるようですが、『甲子夜話』にて「最近のこと」としてその見聞が収められています。 |
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| ちょいとコワモテのおキツネさん。左右「子と玉」です。しばらく睨みあっていると、愛嬌がみえてくる感じですね。おキツネさんとしては大柄、台石が低いので通り過ぎてしまう人も多いかもしてませんが、デカイです。毛並を表現した縞状の模様・子ギツネの四肢・歯列までもが彫り込まれた力作。 おっぱい6つあり。ええ、前掛けくらいめくりますともw 慌ててダンナのほうに戻りましたが、こちらはシンボルなし。たまについてるんですけど、雌のみというのは珍しいかも。 |
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| 本宮 | |||||||||||||||||||||||
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腰の低いおキツネさん。顔がやや前に下がっているせいだな、きっと。やさしげです。 いくらかこちらに振り向いてきている事が見てとれます。これ以前のおキツネさんは正面を向いているのです。 |
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| 狐の穴跡 | |||||||||||||||||||||||
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| 中腹に社を構える王子稲荷神社では、最奥の「狐の穴跡」は石段の上。小さなおキツネさんが一対、ちょこんと座っていました。 狐おらんかなぁ…… |
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| 境内社 市杵島神社 | |||||||||||||||||||||||
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| 宝暦11年(1761)12月吉日・浅草 石工 橋本権巧(?読めず)。 奉献者がわが町の石工の作品を奉献する場合は「作ってから持ってくる」のか「作者がこっちに来て製作する」のか? 持って来そうな……きっと、ものすごく重いですよね。 こちらは神社に併設の幼稚園内にあり、園が休み(基本的に日曜)のときのみ参詣できます。 |
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| LAST UPDATE 2006/3/13 | |||||||||||||||||||||||