穴守稲荷神社
所在地 大田区羽田5−2−7
御祭神 豊受姫命
年中行事  1月 朔日    元旦祭
 2月 3日    節分祭
 2月初午     初午祭
 2月11日    建国祭
 2月17日    祈年祭
 3月春分     春分祭
 5月中一月間  五月祭
 5月28日    遷座記念祭
 6月30日    大祓式
 8月下旬     献灯祭
 9月一の午   奥之宮大祭
 9月敬老日   敬老祭
 9月秋分     秋分祭
11月 3日    例大祭
11月23日    新嘗祭
12月23日    天長祭
12月31日    大祓式・除夜祭
公式ホームページ  http://www.anamori.jp/


穴守稲荷神社

 社伝によると、文化元年(1804)のころ鈴木新田(現在の羽田空港内)開墾の際、沿岸の堤防がしばしば激浪のために害を被り、或時堤防の腹部に大穴を生じ、これより海水が浸入使用としました。そのため村民等相計り堤上に一祠を勧請し、稲荷大神をお祀りしたと伝えられます。これが当社の草創です。爾来神霊の御加護あらたかにして風浪の害なく五穀豊穣しました。
 穴守を称するのは「風浪が作りし穴の害より田畑を守り給う稲荷大神」という心です。
 そもそも稲荷大神は畏くも伊勢の外宮に斎き祀られる豊受姫命にましまし、衣食住の三要を守り給える最も尊き大神です。吾等一日とてもこの大神の恩顧を蒙らぬ日はなく、実に神徳は広大です。
 殊に当社は明治以来、大正・昭和を通じて最も隆昌に至りました。参拝の大衆は日夜多く、境内踵を接する如く社頭また殷賑を極め、崇敬者は国内は勿論、遠く海外にも及びました。
 古くから伝わる羽田節の一節にも
 「羽田ではやる お穴さま
  朝参り 晩には 利益授かる」
と謡われています。
 しかるに昭和20年8月、終戦にのぞみ、敗戦という未曾有の混乱のなか米軍による羽田空港拡張のため、従来の鎮座地(東京国際空港内)より48時間以内の強制退去を命じられました。同年9月、地元崇敬者有志による熱意の奉仕により境内地七百坪が寄進され、仮社殿を復興再建。現在地に遷座しました。
 爾来崇敬者各位の協力により、社殿・奥之宮・神楽殿・社務所・展示場・神輿庫・納札所等復興し、目下境内整備を実施中にて、漸次昔日の面影を取り戻しつつある次第です。毎月午の日には。早朝から穴守稲荷大神さまの高く尊き御神徳を仰ぎ奉り、広き厚き恩顧を畏み奉る特別崇敬者の午の日まつり(福まつり)で、社頭は終日の賑わいを見せます。

■御神砂縁起
 今は昔、羽田浦は要島に一翁あり。要島は干拓く島なれば堤にて固め成されり。しかれど津波に襲し堤破るること屡なれば、堤の上に祠を構え稲荷大神を勧請するに、風浪の害止み、之を以て穴守稲荷と称す。
 或時、翁、漁より帰りて漁篭を覗くに釣せし筈の魚は無く只湿砂のみ在り。翌も翌々も大漁なれど同く魚は無く湿砂のみ在るを訝しく思い翁、村衆に此を談る。
 衆人此を狐の仕業とし、穴守稲荷の社を囲みて狐捕へけれど、翁、此を赦し放てり。
 此より後、翁、漁に出ずる度大漁なり。漁篭には許多の魚と僅なる湿砂あり。嫗この砂を庭に撒くに忽ち千客萬来す。斯くて翁富を得る。故、翁に肖り御砂以て招福の富を得むと、穴守の砂求むる者、四方八方より訪れり。
 尚、今日に至る。
-
?
微笑
なし
平成3年9月
 この石狐は「コンちゃん」。京浜急行「穴守稲荷」駅前にいます。
 なので厳密なことをいうと、穴守稲荷神社に奉納されたものではありません。
 石狐写真集『東京のおキツネさん』の表紙はこのおキツネさんです。著者の平川さんとは何度もお会いしているのだけど、特に選定理由は尋ねたことはありません。「どこの寺社の所有でもない」ことは表紙に採用した理由の一つだろうな〜。
 さて、コンちゃん。「新しいキツネの姿」の好例ですね。ここ穴守稲荷神社は江戸に大流行を巻き起こした「お稲荷さん」の中で、もっとも最近(明治〜戦前)にピークを迎えた神社なのですが、やはり当地が「お稲荷さん⇒キツネ」を求めたものだと思われます。
 女の子……かな? やたら可愛い衣装をまとっていますね。明らかに「コンちゃん」のために作られたちゃんちゃんこ(?)です。耳飾りも秀逸です。良かったね。

左(♀)
玉と子
昭和11年5月吉日
(昭和39年6月吉日補建)
 久しぶりのおっぱいキツネ。頬毛や膚がふかふかに彫られているところも含めて力作です。
 

奥之宮
 奥之宮の「御神砂」授与所にいるのがこのおキツネさん。記事は無いのだけれど、これが穴森稲荷神社の石狐の最古参のよう。おそらくは当社が創建した江戸末期〜明治初期くらいの期間のものです。
 この「顎を深くひいた姿」は下町からみて南、東海道の方向に多く分布しているように思いますが、まだデータが不足していて確信が持てません。製作時期の近い例としては芝公園の通元院(瘡守稲荷)や高円寺の田中稲荷神社のものなど。なんとなく行儀良さそうに見えますね。
 手は「招き」とも見えますが、「玉」が紛失したと見てもおかしくはない程の加減です。別素材で玉を作るケースがあれば、それで納得できるのですが、そんな事例は今のところ見当たりません。
 スマートですが目じりの印象の不思議と優しいおキツネさん。
なし 招き?

末社 開運稲荷神社

末社 福徳稲荷神社
 ちょっとコワモテ、とんがった耳のおキツネさん。
 写真だとどうしても大きさが直感的に把握しづらいものです。このおキツネさんは「デカイ」。福徳稲荷神社の祠と比べて見て下さい。石狐本体のサイズとしては横綱格、拝殿前の石狐より大きいかも知れません。
 おキツネさんの世も子は親に似るもので、子ギツネもコワモテの面影。とはいえ遊びたい盛り。

 境内を出て海浜の弁天橋のそば、羽田空港のすぐ脇にポツンと鳥居が立っています。むかしの穴守稲荷神社の鳥居です。
 この鳥居、もともとは空港敷地内にあったものです。そう言うと「ああ、あの鳥居か」と判る方がほとんどでしょう。平成11年に現在地に移設されました。
 第2次大戦後まもなく進駐してきた米軍が羽田にあった東京飛行場の周辺地を接収、大規模な拡張工事を決定しました。その際に穴守稲荷神社をはじめ、羽田穴守町・羽田鈴木町・羽田江戸見町に居住していた人々が強制退去させられるという事態が起こりました。このとき、昭和初期に建立された穴守稲荷神社の大鳥居のみが施設内に残されることになり、現在に至っています。伝えられるところによると、鳥居の撤去にあたった関係者に次々と事故があり、それを畏れた地域住民の働きかけから旧地に保存されたといわれます。


UPDATE 2006/10/19