半田稲荷神社
鎮座地 葛飾区東金町4−28−22
御祭神

倉稲魂大神 
 食物・衣服・住家を幸わえる神で、昔から農業・工業・商業の人々の守り神であり、商売繁盛・家内安全の御信仰を広く、又「屋敷」の神として一般の人々の家々でお祀りするところであります。
佐田彦大神  
大宮女大神 
 稲荷神の母神で、あいきょうの神であります。

祭礼

 1月 1日   歳旦祭
 2月初午日  初午祭
 4月8日に近い日曜日  例祭
 6月       雷神祭
11月23日   新嘗祭


半田稲荷神社

 半田稲荷神社の始めは、社記によると和銅年間(708714)とも永久年間(111317)のこととも云われております。しかしながら延享4年(1747)火災にかかり多くの什宝、記録を失くしました。社宝として建武2年(1335)の碑、享徳4年(1455)古河公方の願文を蔵することによっても創立の古いことが察せられます。当社は古河公方として関東に雄飛した足利成氏の祈願所です。
 社殿は延享4年火災により焼失後、寛延2年(1750)ふたたび造営されました。これが江戸名所図会に載せるところです。現社殿は、その後弘化2年(1845)尾州家の立願によって造営され、上棟祭には徳川慶勝公以下家臣列して盛大に行われたと、社蔵の『尾州家黒船警護祈願次第記』に記されています。
 江戸時代から非常に栄え、享保年間(171635)より文化年間(180417)の頃、特に信仰者が増加して、諸藩の士をはじめ多くの講中を中心に近県近郷にいたるまで常に参詣の絶えることがなく賑わいました。このことは江戸時代の地誌・随筆等に多く見ることができます。また昔から小児の麻疹・疱瘡の守護神、婦人の安産を願う神と信仰されました。
 当時「願人坊主」という者が、真っ赤なあかねの木綿の法衣を裾短く、同じ頭巾の鉢巻、同じ脚絆、すべて真っ赤な衣装で、「半田稲荷大明神」の赤い幟を担ぎ、胸に引き換えの白狐を入れた小筐を掛けて、足拍子おもしろく「葛西金町半田の稲荷、疱瘡もかるい、麻疹もかるい、運授・安産御守護の神よ」と節回しおもしろく謡い踊りつつ江戸市中から全国を廻って歩いたといいます。このことは芝居等にも演ぜられ、明和3年(1766)江戸市村座で『江戸名所柳島通』との題名で上演され、天明4年(1784)に大坂角座で四世市川団蔵により歌舞伎芝居として上演されました。舞踊の名手三代目坂東三津五郎が文化10年(1813)に初演した十二ケ月の所作事『四季詠寄三大字』の二月の部で踊られ、人気を呼び、錦絵にも描かれました。

『「半田稲荷神社」のしるべ』より作成
銜・巻物 銜・玉
なし なし
昭和10年7月
 金町四町目の二葉喜太郎さんの喜寿記念の石狐。調べる気はないですが、たぶん近所の名家かと。他にも奉献者名に「二葉」の姓がありました。どこで作られたものか、それまでの時期には見られない姿です。……はて、どっかでこの顔を見たことがあるような? 忘れました。何か目立つ場所だったと思いますが……そのうち思い出すでしょう。
(追記)伏見稲荷大社のおキツネさんにありがちな「玉」でした。玉の表面に「円」の模様が描かれています。ちなみに目元は豊川稲荷田中稲荷神社のものにも似ています。

玉と子
昭和36年2月吉日
 石匠は誰でしょう? とても好みのおキツネさんです。後姿も充実していて実に飽きません。顔も整っていますね。奥さんの抱いている子ギツネは何やらヤンチャをしています。

白狐殿
 拝殿の脇に「白狐殿」があり、その参道に石狐たちがひしめいています。

 ヤモメになってしまったおキツネさんも多いのですが、破損などはマメに修理されていました。江戸期のものが数点混じっています。
 右は新しいもので、昭和49年5月吉日。

稲束
大正5年2月吉日
 珍しい「稲束」の石狐。コチラの修復はちょっと創作性?が強いので、左のおキツネさんがもともとどのような姿であったかは不明です。
 ちょっと目の座ったおキツネさん。

天明8年(1788)8月吉日
 江戸中期のおキツネさん。貫禄ですね。
 彫りが浅く、薄れてしまっていますが、温和な表情がうかがえます。
 このおキツネさん、台石には「寛延元年(1748)11月吉日」と見え、再興したとあります。もとのおキツネさんも見たかった…。
 台石にハメ込み式になっているのは珍しいです。天明2年(1782)に江戸に大地震がありました。翌3年には浅間山が噴火します。あくまで想像ですが――元の石狐が転倒し壊れ、新しいものに耐震補強をした、と考えると納得できます。

 たくさん(笑)。補修している人が一人なのか、直したものは皆、顔が似ています。
 上段右から二つ目は千束稲荷神社のものに似た面影があります。また、右のおキツネさんは江戸時代の1800前後くらいのものに見えます。

文政13年(1830)8月吉日
 原形がわからぬのが残念ですがこちらも江戸時代のものです。多分首がもっと長かったろうと思います。
 現存していない江戸前期のおキツネさんにはきっとこんなシルエットのものがいただろうと思います。結果的に素朴なシルエットになっていますね。

 こちらも古そうです。明らかに作り慣れていない印象です。やはり江戸時代の作と思います。

お穴
 特別何とも説明はありませんでしたが、明らかに狐塚です。
 キツネの住めそうないい穴ですね(?)。もともと住んでいたかも知れません。

 ということで、お穴は留守で、一対のトビギツネがいました。人懐っこい様子です。見返りのおキツネさんは稲穂を銜えています。


UPDATE 2006/6/1