豊川稲荷 (豊川閣妙厳寺)
所在地 愛知県豊川市豊川町1
宗派  曹洞宗 
主な
年中行事
 1月 1〜15日   初詣
旧2月初午       初午祭(
 5月 4〜 5日   春季大祭(豊年祈願祭)
 8月 7〜 8日   み魂まつり(盆おどり)
11月22〜23日   秋季大祭(鎮座祭)

毎月22日に月例祭(御縁日)
 
 
 
 
 
→東京の直轄の豊川稲荷:赤坂豊川稲荷関東別院


豊川稲荷(豊川閣妙厳寺)

 「豊川稲荷」で世上に知られる当山は、「豊川閣妙厳寺」と称し、曹洞宗の名刹といわれております。
 嘉吉元年(1441)11月22日、東海義易禅師の御開創で、御本尊に法祖寒巌義尹禅師(かんがんぎいん/曹洞宗開祖)伝来の千手観音菩薩を安置し、また境内に鎮守として、法祖が御感見自作の善神、豊川■枳尼(以下「ダキニ」)真天を祀ります。広く「豊川稲荷」と呼ばれるのはこの善神です。
 法祖寒巌義尹禅師の豊川ダキニ真天御感見は、七百余年前の文永元年(1264)、禅師が入宋求法、同4年に帰朝御乗船の際に海上に妙相端麗、稲穂を荷い、手に宝珠を捧げ、白狐にまたがる御姿の霊神現じて御神示があり、この中に真言があり「オンシラバッタニリウンソワカ(原本は漢字表記)」と申されました。これを解釈すれば「この神咒を唱える時は、わが信心はどこまでも通じて、正しき戒力により悪事災難を除き、福徳知恵を得、苦を抜いて楽となし、悲しみを転じて喜びとなすことが成就する」の意です。禅師は深く感動され、帰朝後、示現の御姿を手ずから刻み守護神として祀られました。これより代々相伝せられ、妙厳寺開創とともに鎮守として祀られました。爾来幾多の霊験を現じ、福徳の神、抜苦与楽の神として広く崇仰され、今日に至ります。
 中にも当山中興の開基今川義元公をはじめ、織田信長、豊臣秀吉、九鬼嘉隆、徳川家康、大岡忠相、渡邊崋山、有栖川宮熾仁親王等諸侯も深く信仰され、殊に有栖川宮は「豊川閣」の扁額を寄進せられました。また当山直轄の東京赤坂「豊川稲荷別院」は、江戸の名奉行と評された大岡越前守忠相公が生涯守護神とされる尊像を祀ります。
 東京のほか大阪、横須賀、札幌、福岡、千頭にそれぞれ別院がおかれ、分霊は全国いたるところに祀られています。
「豐川いなり略縁起」より
 世の中に「三大稲荷」の一つというお稲荷さんが十社以上あります。どれが本当の「三社」なのかは興味ありませんが、客観的にその「三社」のうちの「一社」として間違いないのが、ここ豊川稲荷。休暇を利用して、やっと来れました。思ったより遠いや。

 総門脇の燈籠にさっそくおキツネさんが飛び回っていました。「明治2年9月吉日/大清 領(?)南玉池書」とあります。
 「立派な山門に、これまた立派な燈籠だ。おキツネさんもいる」と感心していましたが、これはほんの序の口に過ぎませんでした。

なし なし
昭和55年11月吉日
大仏師 畑治 製
 参道の正面、大鳥居の両脇に東京からの奉納のブロンズおキツネさん。署名の「大仏師 畑治」が原形製作者も兼ねているかは分かりませんが、左右ともに雄々しい(シルシはないですよ)おキツネさんです。

 豊川ダキニ真天をお祀りする本殿に至る参道の両脇には巨大な石燈籠が連なっていました。「維時明治3年3月吉日」とあり、当国内からの奉納です。境内には東京はじめ関東からの奉納も数多く見られます。

 石灯籠にはことごとくおキツネさんのレリーフがあります。モチーフは極端に変りはありませんが、東京のものに比べて全体的に彫が深い印象を受けます。こちらも東京からの奉納ですが、彫の深いのが当地の流儀とすれば、製作はこちらなのではないかと思われます。「昭和8年3月」

 燈籠の台座あたりをぐるっと彫刻してあったら、普通「十二支」なんですよ。普通は。
 初めて見ました「狐百態」。ありそうなモンですが、実はなかなか見られないデザイン。「百態」は大袈裟ですが、それぞれの面に違う姿のキツネたちが楽しい。ネタが尽きたのか「頭を抱えている」おキツネさんまでいました。
 「大正4年5月/当国岡崎裏町 石工 太田仙太郎」

 今回、かなりの数のおキツネさんを割愛しています。にもかかわらず、の数。
 「維持嘉永3年(1850)11月祭礼日/勅許御鋳物師大工職 当国北金谷邑住 中尾重右衛門」とあり「藤原義寛 藤原寛忠 作之」とつづきます。藤原姓の二人はお弟子さんの名か、ひとまわり小さく書かれています。銅製燈籠にはおきまりの「玉鍵」をはじめ宝づくし。
 銅製の大燈籠は、都内でも日枝神社根津神社をはじめとした特に大きい社寺にのみ見られます。奉納の有無ということもあるでしょうが、そもそも広大な境内に似合いますね。

 本殿の左右に「例の」おキツネさんがいました。東京別院と同じです。
 狛犬と違いおキツネさんは「ニヤッ」とすると「阿」です。――ああ、やっぱりこのおキツネさんは苦手。東京別院と比較しても明らかですが、安藤菊男氏の原形の忠実な再現と伺えます。安藤氏はとても優れた彫刻家なんでしょうけど、ごめん、これは苦手。
なし なし
昭和29年3月21日再建立
岡崎市 製作請負 四代目藤島貞造
挙母市 塑造 安藤菊男
岡崎市 鋳工師 
宝雲弟子安藤米吉
牛久保 石匠 中西加吉
矢作岐時瀬 書記 深見寿美

千本幟
 「奥の院」、「霊狐塚」へとつづく杉林の参道は数多の奉納幟の立ち並ぶ道です。東京別院がここ「豊川稲荷」を忠実に再現しようとしているのが分かります。でもオリジナルはやはり壮観。

千本幟〜霊狐塚
 霊狐塚へと向かうに従い、キツネ密度が高まってゆきます。結論から言うと、豊川稲荷のおキツネさんは全般的に新しい
 次々に奉納されるおキツネさんの数が多くて、古いものを排除せざるを得ないということか。灯籠には幕末のものがありましたが、おキツネさんは近代のものに限られており、殊に昭和から平成の奉納が目立ちます。

なし なし
昭和60年3月吉日
 原形「安藤菊男作」のおキツネさん。書いていないけど間違えようもない。石でも同じように作れるということはオドロキです。もちろん耳の厚さなどは石像向けに調整されていますが、印象は同じ。
「石工さんはたいしたもんだな〜」と歩いていると、驚愕の事実。また、いた。「あれ?」と、来た道を振り返りつつ見ると「昭和63年2月吉日」とある。さっきと違う、でも同じおキツネさん。その先にも、いた。「平成元年6月吉日」「平成3年10月吉日」……量産されてる? 製作者の署名がないので何とも判らないが、どうやらこの「安藤菊男作」は「豊川稲荷のおキツネさん」として、たくさん製作されているようだ。

縦・紋 縦・紋
銜・巻物 銜・玉
なし なし
昭和8年6月
 杉並区の田中稲荷神社や渋谷区の代々木八幡宮/出世稲荷神社と同じ印象のおキツネさん。よく見るとディテールは違うけれど、奉納の時期も近く、全く無縁とは思われません。作者名があるとよいのだけれど。

 奉納された石狐群。ここが霊狐塚です。
 豊川稲荷では「霊狐奉納」のための窓口が整っているため、このような夥しくも統一されたおキツネ山が生成されるに至っています。全てのおキツネさんには奉納した方の氏名が刻まれており、ほぼ全て同じ作風です。助かった、と言うべきか(笑)。
 日は傾きつつあり、これは忙しい休暇となりました。生猫が一匹紛れていました。

 中から面白いと思ったおキツネさんたちをピックアップ。これほどの数とは……恐れ入りました。

 陶磁のおキツネさんも若干数ありました。「白狐」にこだわれば磁土でしょうが、陶土のおキツネさんもなかなか。

 全部ではないのですが、目が笑っているおキツネさんが数多く紛れ込んでいました。ここのおキツネさんたちは「笑顔」を基本としているようで、とても楽しげ。やはりキツネは笑顔でないと。

奥の院
 「奥の院」の拝殿・内殿はもともとの本殿の建物で、文化11年(1814)の建立、昭和5年に移築。
 ここのおキツネさんは昭和4年5月の奉納です。ピカピカなのですが、石材の性質によるもののよう。

景雲門の周辺
縦・紋 縦・紋
不明 不明
なし なし
昭和5年4月
米子市石工 ■■
 顔が欠けているのが残念ですが、尾にちょっとラフ目の紋が刻まれたおキツネさん。どんな顔をしていたのか、興味のあるところです。

縦・紋 縦・紋
銜・巻物 銜・玉
なし なし
大正13年9月10日
豊川石工 本田勘蔵
景雲門のところのおキツネさん。千本幟にあった「田中稲荷神社代々木八幡宮/出世稲荷神社と同じ印象のおキツネさん」と「目元が同じ」です。体つきはまるで違いますが洗練されていったものと考えることができます。別のおキツネさんを発見できればまた話も変ってきますが、これを元祖としてこの顔の系譜が成り立ちそうです。暫定的ですが、この系統で唯一作者も明らかだし、当面そう考えます。

銜・巻物 銜・玉
なし なし
大正8年
 このおキツネさんは東京にもいそうな雰囲気です。
 次のおキツネさんもそうですが、豊川稲荷の石狐は大正期から昭和29年に「原形安藤菊男」の型が登場するまでの間は、ほぼ「銜巻物/銜玉」に統一されており、「尾に紋」も好まれていたと見えます。それ以前のものは残存していないので不明ですが、東京と異なってデザインが統一される方向に向かっているのが面白いです。

銜・巻物 銜・玉
なし なし
昭和10年8月
 輪郭は東京の石勝系に通じるところがありますが、目が明らかに違います。そら似、でしょうね。

 愛知県の豊川稲荷(豊川閣妙厳寺)門前が「稲荷寿司」の発祥の地であるといわれます。となれば、食すほかない。
 豊川稲荷門前には稲荷寿司のお店が軒を連ねます。「全部は食えねえな」と一瞥して、とにかく豊川稲荷に参詣すべく山門をくぐりました。「うわ、狐だらけ」 大喜びで境内を歩き回ること数時間、豊川稲荷を後にして門前町へと出たのが4時半くらい。
――あれ? お店みんな閉まってる? (;´・д・`)
 門前町の夜は早いらしい、あわてて『門前そば 山彦』に駆け込む。店内には看板がしまいこまれていて、明らかに営業時間終了
 もの欲しそうに眺めていたら、一個つくってくれた。ふだんなら店内で食べられるのだが、それは望むべき状況ではない。
 近所の公園でお稲荷さん開封。具沢山で甘味のあるお稲荷さんだ。いろんなイミで美味いや。ありがとう『山彦』さん!
 夏場以外はお取り寄せの対応もしてくれるそうです→門前そば 山彦


UPDATE 2006/7/25